
海洋惑星ドルロイの二代目総督カネーク・ジュニアの依頼で、ダンたちのチームはドルロイの再改造を請け負うことになる。ところがジュニアの真の狙いは、ドルロイの技術の粋を結集したアクメロイドの生産を強化し、海洋開発を進めようとする邪魔なキャナリーシティの市長クラーケンらをドルロイから一掃することにあった。
一方アクメロイド殺人事件の容疑者となったクラーケンは、この一件をWWWAに提訴。その結果、調査のためにケイとユリが派遣される、という筋書き。
『ダーティペアの大乱戦』はケイの一人称でクラーケン側から物語が進み、この『ドルロイの嵐』は三人称でカネーク寄りの物語が展開されていく。そして当然のことながらクライマックスは、クラッシャーとダーティペアが共同で殴り込みをかけ、派手なドンパチを繰り広げることになる。
両方読んでないと話がわからないということはないが、両方読んでみると「ああ、あそこはこうなっていたのか」とか「あの時××だったのは、実は△□だったからなのか」という楽しみ方が出来る。
こういった構成のお話というと、他には海堂尊の『ナイチンゲールの沈黙』と『ジェネラル・ルージュの凱旋』ぐらいしか思い浮かばないが、一見楽そうに見えて、整合性を取るのはなかなか難しそうだ。
朝日ソノラマ亡き後、絶版となったソノラマ文庫からハヤカワ文庫へ移籍を果した<クラッシャージョウ>シリーズだが、この外伝(別巻)は未収録なのが残念。早めの刊行を望みたい。
「アクメロイド殺し」は、なんといっても同じ世界を共有する<ダーティペア>と<クラッシャージョウ>の2大シリーズのクロスオーバーが売り物。といっても両作品の時代設定は20年ほどずれているので、ダーティペアのケイとユリが共演するのは、ジョウの父・クラッシャーダンが率いるチームだ。

劇中ではケイとタロスが良い雰囲気になり、バードもケイに気があるそぶりを見せるが、<ジョウ>の世界ではタロスとバードが奪い合ったケイという女性が存在し、結果タロスが身を引いてバードと結婚するものの、若くして亡くなったことが語られるので、この二人のケイが同一人物では?と言われているがまだ明らかにされていない。
またユリもかなり年上のダンにお熱を上げている様子だが、やはり<ジョウ>の世界では幼少の頃に亡くなったジョウの母親の名前がユリアとされていて、こちらも同一人物説が取りざたされている。今後、この謎を解き明かすエピソードが描かれる可能性はあるのか?
一方の「そして誰もしなくなった」には、<トラコンカンフー>のコードネームを持つWWWAきっての凄腕トラブルコンサルタント李酔竜、コードネーム<トラコンカンフー>が出てくる。
<ザ・ドラゴンカンフー>というシリーズがあるので、てっきり単なる自作パロディの類かと思っていたのだが、人気が出たのか本人が気に入ったのか、後に<神拳 李酔竜>というスピンオフ・シリーズの主人公になった。トラコン同士で面識がない、というあたりにちょっと引っ掛かりがあるのだが(エースの李酔竜は当然として、ユリとケイの二人も’”悪名”だけは高いはず)、軽い読み物としては十分に楽しめる。

2013年、全世界に同時多発テロが勃発。
かつてない世界の危機に、ギルモア博士は世界各地に散らばっていたサイボーグ戦士たちを招集する、というのは如何にもなパターンだが、従来のようなレーサーだったり、バレリーナだったり、長距離トラックの運転手だったり、というのとは違う現職が、スパイアクション物っぽくて新鮮に感じた。
サイボーグだから歳を取らない(島村ジョーが延々と高校生活をループしてるとか)というのは強引な気もするが、60年代の米ソ冷戦時代の産物である00ナンバー・サイボーグを描く際には、その時代を舞台にするか、設定を無視するか(1979年版)、時を超えさせるか(2001年版)、何らかの形で折り合いをつけなければならないのだから、そういう解釈もあって良いのだろう。

結局これが「神」だったのかは曖昧なままで終わっているので消化不良だが、変に抽象的で難解なシーンを放り込み、イメージやムードに流された作品にしなかったのは評価しても良いかな。
グレートは前半にやたら格好良いシーンがあるけれど、後半は出番がないし、ピュンマは思わせぶりな台詞のみで存在感ゼロなのは残念だけど、フランソワーズは出色。原作と違って妙に色っぽいというか、エロい。あのジョーとのラブシーンはかなり濃厚で、こりゃ「子どもは見ちゃダメ」の世界だ。

【ひとこと】
9人が揃うシーンってないのかよ。あのコスチュームも全員が着るワケじゃないし。

『美女と野獣』に続いて、ディズニーが自作の長編アニメを舞台化。それを日本では劇団四季が演じている。初演は1998年らしいので、かれこれ丸4年近くのロングラン公演。チケットもまだまだ売れてるようで、人気あるんだねぇ。『美女と野獣』は見たかったけど『ライオン・キング』は好きじゃないし、でもお誘いがあったので観劇。
舞台は2部構成で、前半は驚くほどアニメ映画版を忠実にトレース。シンバの誕生から、王国を追放されティモンとプンバァに出会うまで。後半はオリジナルの展開も織り交ぜ(スカーがナラを妃にしようと言い寄る、とか)独自色を打ち出している。
正直、「仮装大会+人形劇かよ~」という最初の印象が最後まで拭いきれずに今一つ乗りきれなかったものの、終盤のクライマックスは映画のスペクタクルを巧く舞台に移植し、しっかと見せてくれたので満足感はある。ただ、休憩を挟みながらも三時間というのは長すぎ。映画は一時間半だよ。
それに音楽に統一感がないのも気になった。映画版の歌だけじゃなく、企画アルバムのものや舞台オリジナルのものもあるのだけど、印象がバラバラ。エルトン・ジョンに全てまかせるならまかせる、或いはハンス・ジマー一党に仕切らせるなら仕切らせるで、バランスをきちんと取って欲しかった。

10年も経てば考えも変わるかと思ったけど、やっぱり僕はこの作品、ダメだ~。
元々『ライオンキング』そのものが、手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作なんじゃねーか、という騒ぎの頃からどうしても色眼鏡で見てしまってるということもあるんだけど、以前にも書いたような「仮装大会+人形劇」という部分と、「音楽に統一感がない」というのが個人的にはどうしても引っ掛かっちゃう。
感動出来る人が羨ましい・・・。

劇団四季は今度は『リトル・マーメイド』を上演するという話があるけれど、こっちはどんな感じになるかなあ。
原作となるアニメ版は大好きなだけに、面白いものになって欲しいのだけれど。

また相手となるのが妖魔の生き残りのベロスタンとキャンベル星人のワルキメデス、それにあの国連軍の参謀長官だった三輪防人! なんだかドロドロの展開になりそうな・・・。
シャーキン、ガルーダ、ハイネル、リヒテルの美形悪役カルテットも健在。さてこのシリーズ、どこまで続くことやら。

ウルトラマンが地球を去ってから平和が訪れていたが、再び侵略者の魔の手が伸び、進次郎は密かに活動を続けていた科特隊が開発した強化スーツを身に纏い、ウルトラマンとなる!
うーむ、これを「ウルトラマン」と呼ぶのは抵抗があるけど、お話の方向性としてはアリかも、と思えてきた。同じようなスーツを着用(?)しているベムラーが出てきたり、第2巻では科特隊に協力しているゼットン星人や、諸星と名乗る科特隊のメンバーが出てきたりと先々の展開が気になる。
初代『ウルトラマン』の登場キャラクターとしては、防衛大臣になっている早田(ウルトラマンと同化していた時期の記憶を失っていたがそれを取り戻し、進次郎に先駆けてスーツを着てウルトラマンとして活動している)と、科学技術研究所の所長となっている井手の2人だけだが、黒部進と二瓶正也が健在なうちに映像化して欲しい、などと思ってしまった。おそらく大多数の「ウルトラマン」ファンからの支持は受けられないだろうが・・・。

もし今「銀英伝」をリライトしたならば、おそらくここまでの展開を2巻で収めず、5~6巻は費やしたのではないか、と思えるほど凝縮されたものになってますが、ここまで惜しげもなく色々注ぎ込んだからこそ、密度の濃い充実した作品になったとも言えますね。
ただアニメ版になれてしまうと、ジェシカとかラップとか、あるいはアッテンボローやポプラン、ミュラーやケスラーでさえ、「あれ?これしか出番ないの?」と驚きます。スタッフはうま~く膨らませていたんだなあ。
ひとまずここで第一部完、というところですが、ご存知の通りちょいと重たいエンディングを迎えますので、引き続きお口直し(?)に「外伝2」を読んでおります。
早速<日本語最強吹替版>とやらで鑑賞してきました。

前作メンバーの中ではミッキー・ロークの不在が寂しいですが、その分カメオ出演だったブルース・ウィリス(綿引勝彦)とアーノルド・シュワルツェネッガー(玄田哲章)が今度はクライマックスバトルに本格参戦し、更にチャック・ノリス(堀勝之祐)までも助っ人として登場するなどよりパワーアップしております。
また紅一点としてブルース・ウィリスの部下ユー・ナン(栗山千明)も加わっていますが、彼女、美人過ぎないところが好印象ですね。
対する悪側は、前作のオファーを蹴ったジャン=クロード・ヴァンダム(山寺宏一)が、舎弟(?)のスコット・アドキンス(藤真秀)を従え、満を持しての登場です。
まあこれだけ豪華な面子を揃えればつまらない筈がなく、仮にお話そのものは面白くなくても(苦笑)、彼らの存在だけで楽しくなるってもんですが、やっぱり終始ゴキゲンでした。
メンバーのキャラ設定や、そのやり取りで出てくるネタは、役者のプライベートなものか今までに演じてきた役柄を元にしたものが多いので知っていればニヤリと出来ますし、チャック・ノリスやシュワルツェネッガーの登場シーンにはどこかで聴いたメロディが奏でられるなど、音楽面でも遊んでます。
問題があるとすれば、これだけの顔触れを相手にすると、さしものヴァンダムも劣勢な感じは否めないところでしょうか。もう一枚か二枚、彼に匹敵する様なメンバーを揃えられたならねえ。

ニコラス・ケイジが内定したとか、ウェズリー・スナイプスは当確だとか、ハリソン・フォードやクリント・イーストウッドにもオファーを出したとか噂は飛び交ってますが、やるからには「最強」の名に恥じないメンバーを揃えて欲しいですね。やっぱりスティーブン・セーガルとか、ジャッキー・チェンとか、ドニー・イエンとか。
いや、マイケル・パレとか、マーク・ダカスコスとか、ジェフ・スピークマンとか、ドン・”ザ・ドラゴン”・ウィルソンとか、フランク・ザカリーノとか、ジョー・ララとかでも、それはそれで楽しいですけどね、前作にもゲイリー・ダニエルズ出てましたし。
ところでこの<日本語吹替版>、「最強」を謳っている割にちと疑問符がつく方々もいらっしゃいますね。ブルース・ウィリスはなんで樋浦勉(内田直哉派もいるのかな)じゃいけなかったのかとか、下手とは言い切れないけど、やっぱり本業以外の人を持ってくるのは止めようよとか色々言いたいこともありますが、ウリにしてる筈なのに、近所のシネコンじゃ一日一回だけしか上映されないっていうのはどーよ?
【ひとこと】
あれ?ジェット・リーは?

一方ドン・ホラーを復活させようとする”漆黒の騎士”ブライトン率いるマクーは着々とその計画を進め、撃を追い詰め、更に復活の憑代として衣月を攫って行く。なすすべもなく崩れ落ちる撃の前に現れたのは、特務刑事となっていた伝説の男・一乗寺烈=初代ギャバンだった・・・!
30周年を記念して『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン』への客演を経て、遂に「宇宙刑事ギャバン」が本格的に復活!!
――なのだけれど、期待が大きかった分、ガッカリ度合いが高いかなー。
音楽は渡辺宙明と山下康介の連名とはいえ、実質メインは山下康介の方。新曲も格好良いのだけれど、もっと宙明節を聴きたかったし。
さて、シリーズ三部作の掉尾を飾った『宇宙刑事シャイダー』の終了から27年。何もかも当時のままというのはあり得ないのだが、リメイクではなく続編として作るのであれば、もう少し原典の気分というのかな、そういったものを踏襲して欲しかったと思う。
ドン・ホラーの息子サン・ドルバの鎧に怨念が宿った戦士ザン・バルドとか、サン・ドルバの母・魔女キバの一族の魔女キルとか、大山小次郎博士(!)の創設した大山エネルギー研究所だとか、名前だけ旧作準拠のものを出されても、その繋がりが感じられなければ虚しいだけだ。
あのUFO研究家の小次郎さんが、エネルギー研究に携わってしかも博士号取得なんてちょっと考えられないけど、これがもし同名異人だとしたら、ネーミングの必然性皆無だ。
またシャリバンとシャイダー、それぞれの二代目登場も何となく納得がいかない。これ、新しい宇宙刑事にした方が作品のスケールが広がるハズ。銀河連邦警察にはギャバン、シャリバン、シャイダーしかいないのか?ってことになってしまうし、シャリバン、シャイダーを出すのであればオリジナルにすべきだろう。勿論シャイダー=沢村大役の円谷浩は既に鬼籍に入っているから、シャリバン=伊賀電役の渡洋史だけでOKだ。

そういえば「ドン・ホラーの復活は阻止した」という台詞が出てくるけど、あれは『ゴーカイジャーVSギャバン』を踏まえてのことなのかな。だとすると烈の「魔空空間は30年ぶり」という台詞と矛盾しちゃうんだが。
そして、なんとなく『スケバン刑事/コードネーム=麻宮サキ』を連想。
あちらも人気があって三部作にもなった東映の刑事モノを、ン十年ぶりに映画として復活させたんだよなあ。しかもリメイクではなく「続編」扱いで・・・。
【ひとこと】
昔のイメージそのまんまのマクー戦闘機のデザインには感激。
えっ、テクノロジーの進歩がない? でもマクーって壊滅状態だったから仕方ないでしょ。
【もうひとこと】
先日の『特命戦隊ゴーバスターズ』31、32話へのゲスト出演は、本作の後日談とのこと。撃の態度がでかくなっただけで、あんま成長してない気も・・・。
シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を、ジョン・ケアード(脚本・作詞・演出)とポール・ゴードン(作曲・作詞)がミュージカル化し、ブロードウェイでロングラン上演された作品の日本再演を、日生劇場にて鑑賞。
出演は松たか子、橋本さとし、寿ひずる、旺なつき、阿知波悟美、山崎直子、辛島小恵、小西遼生、福井貴一、壌晴彦ら。

実は原作を読んだことがなく、「逆境に育ったヒロインが自立して幸せを掴む」ぐらいの大まかな粗筋しか知らなかったのですが、ちょっとしたミステリー物っぽい味付けもあって面白いですね。
最初のうちは陰湿ないじめや無理解な大人たちが沢山出てくるので、もっと陰惨でドロドロしたお話になるのかと身構えてしまったのですが、中盤からはユーモアのあるシーンも増えて楽しく見ていられました。
早口な台詞回しはちょっと気になるのですが、松たか子は存在感ありますね。橋本さとしの軽薄すぎない軽妙さも良いバランスです。しかしこの二人をキャスティングしておいて「美人じゃない」「ハンサムじゃない」とやってるのは説得力がないというか・・・。
原作を読むのはちと辛いかなと思っているのですが、何本か映像化作品があるので今度はそちらを見て行こうかなと思っています。