
後で原作の粗筋をチェックしてみたけれど、キャラクターやエピソードがかなり端折られ、殆ど別物になってるね。それでも「名作物でござい」という格式ばった部分や説教臭さはないし、適度にゆるいギャグ、ドタバタが織り込まれているし、全体的なほんわかムードは悪くない。登場するキャラクターの中には好きになれないのもいるけれど、総じて大人も楽しめる内容で、「ムーミン」の入門編としてもOKだと思う。
作品のデータをチェックしてみると、上映時間は62分。以前出ていたビデオソフトは<完全版>と銘打ち収録時間が72分となっていたものの、その後に出たDVDは62分。二つのヴァージョンが流通してるのかなあと思いきや、実はパッケージに偽りありでDVDも実際の収録時間は72分だった。また再発売されたDVDは端から収録時間72分になっているのだけれども、なんかヘンなの。いずれにせよ劇場へ足を運んだ方は、貴重な封印されたヴァージョンをご覧になっていたということになりますな。

長旅の末に未知の惑星に辿り着いた一行は、その星で人工建造物を発見。そこには人類の”創造主”とも呼べる存在の遺体が残されていたが、更に予想を遥かに超える物も残されていた・・・。
『エイリアン』のプリークエルとして企画がスタートし、途中で「別物」と発表されながらも、結局は『エイリアン』の前日譚だったというリドリー・スコット監督のSF超大作。
出演はノオミ・ラパス、マイケル・ファスベンダー、シャーリーズ・セロン、イドリス・エルバ、ガイ・ピアース、ローガン・マーシャル=グリーンら。
映像はかなーり綺麗でしたけど、何が何やらサッパリな映画でした。ちょっと迷ったけど、映画館にわざわざ足を運ばなくて正解だったかな。
まずアンドロイドのデヴィッドの行動が謎。ウェイランド社のピーター社長直々の密命を帯びているんでしょうが、エリザベスの恋人チャーリーに怪しげなものを飲ませてクリーチャー化させるのは何のため? 単に正体を知りたかっただけ?
次に船のオーナーであるヴィッカーズ。会社の重役で実は社長の娘というキャラで、意図的に「彼女もアンドロイドなのでは?」と匂わせる描写がありますが、結局はわからずじまい。あ、船長であるジャネクとは寝たのかな? ならば人間確定なのかも知れませんが、彼女の部屋にある全自動の手術装置が、どういう訳か男性専用なのが謎のままです。実は男だった、というのもないでしょうしね。
随所に『エイリアン』を彷彿とさせる場面が登場し、音楽も一部引用しているんだと思いますが、アンドロイドが乗組員にいて最後はヒロインだけが脱出に成功する、というのもまんま『エイリアン』。当時出来なかったことを最新技術でやろうとした、ある意味でセルフ・リメイクなんでしょうね。謎も全て持ち越しで、どうやら続編は決まってるみたいだけど、どうするんだろ?

吹替版を選んだ場合、深見梨加、楠大典、宮本充、納谷六朗、てらそままさき、藤原啓治、・・・といったヴォイスキャストは安心して聴いてられますが、やっぱり”主演女優”の剛力彩芽は酷過ぎるなあ。まあ彼女が悪いんじゃなくてキャスティングした方が悪いんですが、きちんと声だけで芝居が出来、そしてキャラクターに相応しいことが最低条件の筈なのに、どっちもクリア出来ていないのは論外です。
では字幕版を選ぶとすると、これまた担当が戸田奈津子だという逃げ場ナシの究極の二者択一を迫られてしまいます。
映画ソフトファンにとっては正に嫌がらせとしか思えない仕様ですが、掛け合わせてみるとどっちも気にならなくなります・・・。
「変身」や「ライダー」抜き、「怪人」も出ない、ならば一般のアクション映画層にもアピールする作品になるんじゃないかと思うけれど、<TOEI HERO NEXT>シリーズとは違った別枠で検討しないかなあ。
…などと直接関係ないことを呟いておりますが、見直してみても素直に面白かったよ。
流星の怪我が何かの伏線かと思ってたのに、途中から全然触れられなくなっちゃったりとか、色々と尺が足りなかったのかなあと思う箇所もあったけど。

ただ、時系列的にTVシリーズのどこに収まるのかが、相変わらずわかんないのはちょっとねえ。これ、<平成ライダー>映画の殆どに言えることだけど。外伝と割り切りゃいいのかもしれないけど、そのくせシリーズで引っ張ったりするから始末が悪い。
ところで制御され、ロボット形態から人間体に変わる時のキョーダインたち、肩から上しか映らないけど、当然全裸なのだろうなあと想像させる木下あゆ美がエロっぽい。ロボットなんだけどね。
公開時の感想はこっち。
で、この後はネタバレするので、読んでない・見てない人は出直してちょ。
× × × × ×
小説は遥の一人称。なのでクライマックスのどんでん返しが生きてくる。まあ多少ずるいと思わないでもないけれど。でも映画は、遥を中心に据えてはいるけれど客観的に描写される。
また時間の関係だろうか、遥とルシアの癖や好みに対する描写がオミットされているので、最後まで入れ替わりには気付かれない。原作では母親がそれに気付き、介護士のみち子も何となく察していて、クライマックスで岬洋介が指摘することで読者に明らかにされるが、映画では遥(=ルシア)本人が岬に告白し、岬も以前からそれに気付いていたという流れになっている(そもそも事故以前に岬は二人と面識がない)。そして母親は死なないし、原作以上に事故だったことが強調されている。

ただ、これを単純に「否」とはしない。
確かに原作からは大きな改変であり、ある意味で「犯人変え」に近い冒涜行為なのかも知れないが、一人の少女の映画としては立派に成立していると思うからだ。
特に橋本愛という表現者を得て、原作ほど強かではない代わりにより繊細な心を持った新しいヒロインとして、遥(=ルシア)はスクリーンの中で瑞々しい息遣い、そして大きな存在感を感じさせてくれている。演奏(音源)は吹き替えだが、演奏シーンそのものは彼女自身が演じ、指先に至るまで立派に役を体現している。
クライマックスは「アラベスク」、そして「月の光」の演奏シーンだが、カメラワークやカット割りの妙もあり、ゾクゾクする様な感動を味わわせてくれた。演奏の途中で遥の姿はルシアのそれに変わる。その後ろにはルシアの両親が立ち、祖父の玄太郎も控え、母親は彼女の髪をそっと撫でる。そしてそのルシアの姿を遥は微笑みながら見つめるのだ。
原作では有り得ないこの一連のシーンでの橋本愛とルシア役の相楽樹の熱演、その二人の為にもこの作品は「肯」としたいのだ。
もっとも映画としての限界は自ずと存在している。
遥とルシアは従姉妹同士で同い年であるだけでなく、背格好、髪の色、星座や血液型まで一緒という設定の筈だが、ルシアを演じた相楽樹と橋本愛では顔立ちが違うし、二人で並ぶと橋本愛の方が若干背が高く見えるというのは些か問題だろう(実年齢が相楽樹の方が一つ上というのは置いておくとして)。
そして岬洋介を演じた清塚信也。
流石に本職のピアニストだけあって演奏シーンのみならず指導するシーンも堂に入ったものになっているが、それだけで「岬洋介」というキャラクターが成り立っているのではない。芝居経験がないということは割り引くとしても、この軽薄さは役柄に相応しいとは思えず、やはり荷が勝ち過ぎたのだと判断せざるを得ない。
【ぼやき】
香月家が原作以上にギスギスした一家になっているのは何か理由があるんだろうか?
またエンドロール、あそこに主題歌はいらないだろう。ドビュッシーの曲があれば十分。もう一度「月の光」を流して欲しかった・・・。

これだけのボリュームなだけに、アニメ版を離れたオリジナルな展開もかなり盛り込まれている。これが企画段階やシノプス、シナリオの時点では存在していてその後割愛されたのか、それとも作者独自の脚色なのかはわからないが、アニメ版にもこんなシーン欲しかったなと思わせるものが多く、これがファン出身者のこだわりなのだろうか。

最初はなかなか仕事も決まらず苦しい経営状態が続きますが、最盛期には数十人のスタッフを抱え、複数のTVアニメ作品を並行して受注製作するに至ります。
しかしやがて作品が次々と終わり、遂には会社は事実上幕を下ろします(ただ現在でも解散や倒産はせず、存続はしています)。
これまでにもメンバー各人の著書や手塚治虫の著作などで断片的に語られることはあっても、会社として総括した文献は皆無でした。また一社単独で製作した作品もないため、日本のアニメ史を俯瞰するような書籍でも大きく扱われることはなかったと思います。大半のエピソードには聞き覚えがありはしたものの、当時のアニメ界においてスタジオゼロが置かれていた状況、漫画家各人の関わり方など初めて知ることも非常に多く、これは貴重な時代の証言集だなと感じました。
本書を道標として、更にトキワ荘グループ並びにスタジオゼロに関する調査・研究が進むことを願ってやみません。それは日本文化史上で大きな位置を占めることに繋がるでしょうから。
奔放な姉と貞淑な人妻である妹、対照的な姉妹の生き方を、二人の世話をしている若い坊主を狂言回しに仕立てて描いた東映のポルノ映画。井原西鶴の『好色一代男』や『好色五人女』(どちらも未読)が原案扱いになっているが、おそらく登場人物の名前を借りただけのような気がする。で、この若い坊主が後の西鶴その人だというオチが付く。

監督は関本郁夫、脚本:田中陽造、音楽は津島利章が担当。
ひし美ゆり子といえば、やっぱり『ウルトラセブン』のアンヌ隊員でしょう。オムニバスの短編などを除けば唯一の主演作だそうで、彼女のヌード目当てに何度か見ています。撮影当時は28歳ぐらいだったのでしょうか。惚れた男に一途な顔と、利用出来る男は利用する悪女っぷりの両面、それに妹役の橘麻紀のスレンダーボディとは違った豊満さ、全てが魅力的です。
お話そのものも、毒のないコメディになっていてなかなか楽しめました。
【ひとりごと】
鶴光の出番は必要だったの?
ショーはます「らいぶしょー」でスタート。颯爽と「アキバレンジャー」のショーが始まったなあと思ったら、最終回以後変身できなくなった3人がシャチーク役を雇い、自作のコスチュームで演じていた、とのこと。シャチーク役がこずこずだったり、鈴村監督だったりするのも芸が細かい。
ところが僅かに残っていたモエシニスキー粒子を使い、マルシーナが門前仲町ハシビロコウ、歌舞伎町メスグロヒョウモンチョウ、渋谷コウゾリナヒゲナガアブラムシの3人の係長を復活させ、3人に襲いかかる。そこへ通りかかった葉加瀬博世がオモチャのモエモエズキューンを差し出すと、観客の妄想力で見事に「重妄想!」 公認様の「大いなる力」を利用する係長に対し、「大それた力」で対抗して無事勝利を収めるのだった。

またアキバレンジャーに「大それた力」を授けるのはゴーオンレッド、シンケンレッド、ゴセイレッドの3人で、こちらも新録ではないものの声がオリジナル。最後にSpecial Thanksとして古原靖久、松坂桃李、千葉雄大の名前もクレジットされる。
またスタントを担当したのはオリジナルのスーツアクター3人。このあたり、公認様のファイナルライブツアーよりも豪華だ。向こうはショー専用のアクターなので、変身前が本人でもどうしても違和感が出てしまうけど、こっちは外も中もホンモノ!動きも段違い!
続いて「番組すたっふとーくしょー」で、出席者は日笠淳プロデューサー、田崎竜太監督、鈴村展弘監督、脚本の荒川稔久、キャラクターデザインのさとうけいいち、そして大橋明アクション監督。グダグダになりつつもかなり貴重な裏話を披露。こういうところも「非公認」ならでは。
その後は「番組きゃすととーくしょー」で、赤木信夫役の和田正人、青柳美月役日南響子、萌黄ゆめりあ(CN)の荻野可鈴の3人が登場。番組中ではあまり笑顔を見せない日南響子が笑いっぱなしなのは新鮮だ。途中で葉加瀬博世役の内田真礼と三田こずこず役の愛川こずえが参加し、更にその後でマルシーナ役の穂花が乱入。最後にはアキバレッド和田三四郎、アキバブルー大島遙、アキバイエロー藤田房代の3人のスーツアクター・アクトレスまで出てきちゃうのが「非公認」っぽいところで、このコーナーはもっともっと見ていたかった。皆の仲の良さも窺えたし。
そのまま「すぺしゃるらいぶ」へ突入。桃井はること山形ユキオが登場してOPテーマ「非公認戦隊アキバレンジャー」と挿入歌「Machineイタッシャー!」を披露。次は内田真礼で「Heroic Lily」を愛川こずえを引き連れて熱唱。そして最後は和田正人がEDテーマ「明日はアキバの風が吹く」を歌って幕。
アンコールは再び主題歌をフルコーラス。いやー、凄い盛り上がりだねえ。
この度メデタク『アキバレンジャー』第2期の製作が発表されたけど・・・さて、どんな展開が待ち受けているのやら・・・?

また物語は敢えて「続編」とせずに、メインで登場するのはマクレーン夫妻だけ。
他に登場するのは”相棒”のパウエルとTVレポーターのソーンバーグだけだが、パウエルは序盤だけの顔見せ出演だし、ソーンバーグが絡んでくるのは殆ど後半だけなので、無理矢理でっち上げました、という感じはしない。そのあたりのさじ加減はお見事。
ただいくら「ダイ・ハード(なかなか死なない)」でも、マクレーンの不死身ぶりは度が過ぎているので、前作ほどハラハラドキドキを味わえないのが残念。でも物量攻勢のアクション映画としては一級品、と思う。
【ひとりごと】
最初に見た時は予備知識がなかったので、クライマックスにかかる「交響詩フィンランディア」は単純に格好良いなあと思ったものだが、なんでシベリウスだったんだ? 監督がフィンランド人だから?

今回もプロローグとエピローグに挟まれた3つの連作短篇集となていて、一つ一つは独立したそれぞれの本にまつわるお話になっていますが、一冊としてもまとまりがあるものになっています。さらに栞子さんのお母さんの謎をからめた大きなお話が1巻から続いているわけで、これはなかなかの構成力だなあと感心しております。
最初は「男にとって都合の良い理想像」だった栞子さんですが、段々と生の感情を剥き出し、まではいかないまでも多少は内面を吐露するようになってきていますし、これまで脇キャラに過ぎなかった妹の文香ちゃんがキーキャラクターに。またこれまでのゲストキャラクターが準レギュラー化し、それぞれが大きな役割を担っている点も素晴らしいですね。
無理矢理引き延ばしたり薄めたりは勘弁ですが、可能な限り長く続けて欲しいシリーズです。