1953年にエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイの二人が、世界最高峰への初登頂に成功。その歴史的偉業をアーカイブ映像と写真、それに再現ドラマを交えて描いたセミドキュメンタリー作品。
映し出される雄大な風景は、ただひたすら美しい。
ナレーションに代えて当人たちやその息子たち、隊長をはじめとする遠征隊のメンバーや、この冒険を題材とした書籍を執筆した著者らへのインタビュー音声を全面に流し、再現ドラマ部分も台詞は一切なく、貴重な記録映像と新規に撮影した映像を一体化させており、あたかも全編がドキュメンタリー映像であるかのような錯覚を覚える。
『ロード・オブ・ザ・リング』のスタッフが参加、という謳い文句からすると、再現ドラマがどの程度「本物」に近いのかはわからないが、ニュージーランドの南アルプスや実際のエベレストでも撮影を行った模様。
――と聞くと、全編が特撮ドラマではないのかという軽い失望感も味わうが、まるで今自分の目の前で起こっているかのような臨場感が味わえるのも確かである。
【ひとこと】
この作品は当初『天空の頂き/歴史を変えたエベレスト初登頂』という邦題での公開が予定されていたが、何故か途中で変更された。


歴代の征夷大将軍がどんな人で、どんなことをやったのか、をまとめた一冊で、取り上げられているのは鎌倉幕府九代、室町幕府十五代、江戸幕府十五代…だけに留まりません。
”初代”征夷大将軍といえば坂上田村麻呂、かと思いきや、実は大伴弟麻呂という人だったり、木曾義仲もしっかりとカウントされていたり、人名事典的な側面だけではなく、武家社会の成立から明治維新までの日本史を俯瞰することも出来るので、手元に置いておくとなかなか重宝しそうです。
<マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)>での出来事は、概ね映画公開時の現実世界と同じに設定されているんだそうだが、『アベンジャーズ:プレリュード/フューリーズ・ビッグウィーク』掲載の年表によれば、ブルース・バナーがハルク化して逃走したのが2006年で、トニー・スタークがアイアンマン宣言したのが2009年と多少の調整はなされている。
2010年に入るとスターク・エキスポが開催され、リオデジャネイロに潜伏していたバナーがアメリカへ舞い戻り、そして『アイアンマン2』『インクレディブル・ハルク』『マイティ・ソー』での出来事が立て続けに起こった、というのが「フューリーズ・ビッグウィーク」=怒涛の一週間ということになるワケ。
ここで作品世界に一区切りがつき、本作で物語は一気に第二次大戦当時へと遡る。一連のシリーズとして続けて観ると、この切り替えはしっかりアクセントとなっており、非常に大胆な試みだなあと思わざるを得ない。
もっとも独立した作品として考えれば、元々がそういうお話なのだから当然と言えば当然ではあるのだが、それでも現代に蘇ったキャプテンの話にせず、過去話で押し切ったのは製作陣の作戦勝ちだろう。昔作られたキャノン製の『キャプテン・アメリカ』は現代編が主になっていたのだから。
ただ過去編が上手くまとまっている分、ラストが『アベンジャーズ』の「長い予告編」になっているのが残念といえば残念。後の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は『アベンジャーズ1.5』と呼ばれたけれど、差し詰め本作は『アベンジャーズ0.5』、いや『0.8』ぐらいかな。
【ひとこと】
この作品にはトミー・リー・ジョーンズ、ヒューゴ・ウィーヴィングという二大強面俳優が出てくるが、役柄を入れ替えても成立しそうな気が……。
また何本か二人の吹替えを担当している菅生隆之が、どちらも担当していないという不思議…(^^;
過去記事ー1、-2
『キャプテンハーロック/次元航海』1 原作・総設定・デザイン:松本零士/漫画:嶋星光壱
「チャンピオンRED」に昨年10月号から連載されている「キャプテンハーロック」のリブート版の単行本が出ました。今年の1月号までの4話分が収録されています。
基本的には『宇宙海賊キャプテンハーロック』を踏襲した物語で、「第二の故郷」地球を目指すマゾーン、だらけ切った地球に見切りを付けながらも敢然と立ち向かうハーロック、という図式は同じで、台羽正が副主人公として出てくるのも同じです。
ただ、大山トチローやエメラルダスも早々に登場し、機械化帝国を滅ぼした英雄として星野鉄郎の名前が語られているように『銀河鉄道999』のその後、という時代設定のようですし、銀河系最強の無敵艦隊として「まほろば」「Gヤマト」「凌駕」「ユーノス」「アストレア」、かつて地球を襲った侵略者として「ガミラス」「デザリウム」「イルミダス」の名前が出るのは『999』の<エターナル編>というより、<ウルティメット・ジャーニー>との連携が感じられます。
また太陽系連邦ガイアフリート副司令官キリタは、かってのTVシリーズ版『ハーロック』の切田長官のポジションながら、フルネームは「キリタ・イソラ(切田威天来)」ということで、最近作られたCGアニメ版『ハーロック』のガイア・サンクションのイソラ長官と重ね合わせるなど、今までの「ハーロック」関連作品の集大成を目指しているようです。
このまま原典の『ハーロック』に沿って進行していくのか、それとも独自の物語が繰り広げられていくのかはわからりませんが、未完のままの原典版『ハーロック』を越え、マゾーンとの決着はきっちりと付けて欲しいものですね。
【ひとりごと】
「ヤマト」や「ガミラス」(「デザリウム」もか?)といった名称、デザインの使用は問題ないのでしょうか? それとも了解済みなのかしらん。

この題名の方が通りが良いけれど、以前書いたようにこれはサブタイトルで、正式タイトルは『仮面ライダー』のまま。
<東映まんがまつり>上映版としては2本目だけれども、初めっから映画として作られたのはこれが最初。
主人公は一文字隼人。これに本郷猛がゲスト出演する形でダブルライダーの共演が実現。
両雄の共闘はこれが初めてではないものの、再生怪人軍団に立ち向かうダブルライダーという図式が、現役児童にとってどれほど強くアピールしたことだろう。
そしてそれに拮抗する死神博士=天本英世の怪演は、逆に多くの児童たちにトラウマを植え付けたかも知れない。
とはいうものの、現役児童ならぬ「大きなお友だち」視点で観てしまえば、なかなか純粋に楽しめる、とはいかないもの。よほど思い入れが強くなければ「なんだ、つまんない」の一言で終わってしまいそうな出来栄えなのも事実だ。
色々な意味で勿体ない。
ヌード写真集発売!という話題が先行していたためか、本人が「ヌードもある写真集」という表現で返していましたが、セルフプロデュースということから懸念された中途半端なものになってしまったような…。
収められている写真は思っていたよりも表情が豊かで、アーティスティック志向の独りよがりなものになっているのでは?といった懸念は払拭されはしたものの、もっとアイドル寄りに踏みとどまるか、それとも思い切って大きな一歩を踏み出すか、どちらかに絞れば良かったのになあ、という思いは残ってしまう。
同世代の同性のイコンとして、フォトブック的なものを求めている人にはファッション面でアピールするものはあまりなさそうだし、主に異性だろうが「日南響子が脱いだ」ことに期待している向きには、バストトップがチラッと見えたりオールヌードの後ろ姿の美しさはあるものの、「それだけ?」「そうじゃないんだよなあ」という声が聞こえてきそう。
ポテンシャルは高いのだし、スキャンダルのイメージを撥ね飛ばす意味でももっと「冒険」が欲しかった……。

英国国立美術館に密着したドキュメンタリー映画で、展示されてる作品の紹介は勿論のこと、展示会の企画立案から修復作業などなどの舞台裏も余すところなく掬い取ったものになっています。
出ている人たちも、カメラ目線のインタビューよりミーティングの一齣だったり、観客への説明風景だったりが中心で、「現場」に拘った見せ方は徹底しているので如何にも「お仕事中」の雰囲気が漂っています。
ただ出てくる人たちの名前や肩書が紹介されないので、どういう立場で何をやってる人なのかがわかりづらいのと、181分は些か長すぎたかと。上映中に何度も睡魔に襲われ大ピンチ!
『アイアンマン2』のラストにムニョムニョ君が登場するけれど、ソーがアスガルドを追放されてジェーンたちと出会うのはその前。
ということはジャスティン・ハマーがイワン・ヴァンコを脱獄させてたり、トニー・スタークが自暴自棄になって暴れている頃に、ソーは地球に落下してきたことになるのかな。
そして意外にも(?)『インクレディブル・ハルク』のラストシーンはこの作品よりも時系列的に後になる可能性も。
ここまで各作品が密接に絡み合ってると、そういうことを考えるのも楽しくなってくる。
リンクといえばセルヴィグ教授の知人のガンマ線研究者というのはブルース・バナーのことなんだろうけど、シールドが接触してから行方不明というのとはちょっと違うし、『アベンジャーズ』でも二人は直接顔を合わせず、バナーとソーの会話で名前が出てきた程度なのでどの程度親しいのかは不明なので、矛盾とまでは言わないけど設定が浸透してないような気もする。
またセルヴィグには他にもシールドと繋がりがある知人がいるみたいだけど、はたしてそれは誰なんだろう?
シットウェル捜査官は今作が初登場。まさかその後、ああいうキャラになるとはね…。
過去記事ー1、-2、-3

自身の不思議な体験だけでなく、自衛隊時代の先輩、同僚、部下たちに取材して集めた体験談をまとめたもの。単純に「UFO(未確認飛行物体)=空飛ぶ円盤=異星人の乗り物」という図式ではく、今の段階では説明のつかない不可解な現象が実際に起きているのだ、ということは再三語られている。
その真偽の是非は置いておくとして、日本の領空内に正体不明の飛行隊が何度も出没し、そのまま放置されてしまう現象は、国土防衛上如何なものか、という主張には説得力がある。










