
結果的には過去最悪……とまでは言わないものの、公私ともに不本意なものとなってしまいました。
現時点で2016年に期待出来るものは何もありませんが、
心が折れるまでは精一杯あがき続けたいと思っております。
~トレーシー・アイランドからの招待状~』

最近リメイク作品も放送されている「サンダーバード」をテーマにしたコンサートです。
あまり細かいことを気にせずにチケットを取っていたのですが、演奏はOsaka Shion Wind Orchestra、吹奏楽によるコンサートでした。
演奏だけでなく映像やトークでも楽しめるコンサート、というコンセプトらしく、オープニングの「サンダーバードのテーマ」から、ステージ上のスクリーンには名場面が映し出されます。
1部では1話や8話をはじめ、何本かのエピソードをセレクトし、その劇中音楽が奏でられていくという構成になっていました。
1部のトークゲストは日本で唯一公式ライセンスを獲得しているサンダーバードの人形作家・坂本健二。
サンダーバード愛、人形愛に満ちたある種”変態的”なトークはなかなか興味深いものでした。

「サンダーバードのテーマ」は”神曲”だけれども、他の作品(「キャプテンスカーレット」や「ジョー90」「スティングレイ」など)は大したことないとか、言いきっちゃってます。
また「サンダーバードのテーマ」はおそらく2曲を合体させたものだとか、曲の構成は「君が代」に似てるとか、自説をバンバン披露してくれました。

まあ「宇宙戦艦ヤマト2199」の話もしてくれたりで面白かったから良いんですが、タイムスケジュールを見ると前半後半共に50分となってましたが、後半は70分くらいやってたような。

こういうのって起立して指揮者やMCがもっと盛り上げないと難しいですね。殆ど唄ってる人、いなかったんじゃないですかね。


【ひとこと】
昨日の夜公演は更にゲストが1名追加(新作「サンダーバード」にも関わっている河森正治)。はたしてちゃんとまとまったのかしらん?
昨日はカフェいづみっくすさんへ。


なので当日の様子を思い出しながらの観賞。










といっても「3」と「5」に続く三度目の完結編であるし、今度は「クリード」という”新章”まで誕生したので、これからどういう扱いになるのかはよくわかりませんが…。

エイドリアンを喪い、息子ロバートとは疎遠、親友にして義兄のポーリーとは相変わらずつかず離れずの距離感を保ち、経営するレストランは繁盛しているようですが、街は変わってゆき寂寞感に囚われているロッキーの姿は、等身大のスタローン自身を投影しているようでリアルです。
また観ているこちらも段々とロッキーの年齢に近づいてきていることもあって、思い入れの度合いも強まってきているようです。
そんな中でロッキーの前に姿を見せた一人の女性、マリー。
彼女は第1作「ロッキー」にチラっとだけ登場した不良少女の成長した姿。
こういうキャラクターの使い方、スタローンは上手いですね。
同じく1作目の冒頭でちょこっと出てくるスパイダー・リコが同じ役者さんで再登場してきたり、元アポロのトレーナーだったデュークも何気にポーリーと共にシリーズ皆勤賞だったり。
その一方でエイドリアン役のタリア・シャイアからの出演申し出はきっぱりと断り、フラッシュバックなどで過去作品のフッテージを使い、出演者としてクレジットはしているものの新撮シーンは設けなかったため険悪な関係になったとも報じられたりしましたが、作品を観終った後だとスタローンの判断もわかります。
安易にエイドリアンを扱わない、徹底して描写しないことでかえってその存在感を浮き彫りにしようという魂胆だったのだな、と想像がつきます。
プロ復帰を果たしたロッキーの元へ、現役チャンピオンのディクソンからのエキシビジョンマッチの申し出があり、心が揺れます。ロッキーが考えていたのはそのような華々しい舞台ではなく、エイドリアンを喪った後の心の隙間を埋めてくれるようなちょっとした高揚感だったと思うのですが、そんなロッキーを後押ししたのはリトル・マリー。
これがエイドリアンだったらどうだったでしょうね。素直にロッキーを送り出したかどうか。
それを考えると今回のマリーの比重の高さは、実は(少なくてもシリーズ後半の)エイドリアンよりも大きいと言えるかも知れません。

実は前作「5」の時にもマリーの再登場は予定されていて、しかも当時と同じジョディ・レティジアが配役されて撮影まで済んでいたもののカットされたのだとか。
スタローンの中でこのキャラクターは大きな存在だったのですね。
ディクソンが怪我をするというハンデを与えながら最終ラウンドまで戦い抜いたロッキー。判定では敗れはしたものの、これは妥当な結末でしょう。下手に勝ってしまっていれば…と思っていたら、実はロッキー勝利のヴァージョンも撮影されていてDVDやBlu-rayの特典映像で観ることが出来ます。
流石にご都合主義すぎますし、完結編として相応しいのは実際に採用された公開版だとは思いますが、判定のシーンを除くとロッキーが会場から去るシーンなどは殆ど同じ。つまり試合結果に関わらず、真の勝者はロッキーということは変わらないということでしょう。
エンドロール、フラデルフィア美術館の階段ではしゃぐファンたちの映像で構成されていて実に楽しそう。
そしてその後、一人佇むロッキーの後ろ姿、いいラストシーンです。

マードック司令官の指揮の下ベトナムへ潜入したランボーは、女性諜報員のコーと合流したものの、任務外である捕虜を助け出して脱出を試みるが、捕虜を連れていることを知ったマードックは作戦中止を命令、見捨てられたランボーは現れたソ連軍によって拷問を受ける羽目になる。
だがコーの犠牲によって窮地を抜け出したランボーは、コーの敵討ちと捕虜の救出を決意し、ソ連軍やベトナム軍を相手に反撃を開始する。
「ロッキー」と並ぶスタローンの人気シリーズ「ランボー」の第2弾。
第1作は観たことがなかったのだけれども、予告編があまりに面白そうだったので劇場へ。
前作知らないと楽しめないのかなあと思っていたのだけれども然にあらず。大興奮で帰宅し、丁度一カ月後くらいにテレビで放送された前作(吹替が渡辺謙だった)を観て、意外に地味なドラマだったんだなあと驚いた次第。
とにかくこの作品はイケイケドンドン。
ランボーは重火器振り回してるイメージ強いけれど、その実ナイフを使ったり、弓矢を使ったり、森の中、土の中、水の中に潜伏して相手を一撃で倒したりと、派手さはないけれど堅実な戦いぶりを見せてくれるなど、アクション面では苦心の跡がうかがえる。
ランボーの不死身っぷりはツッコミどころ満載だが、観ている間は高揚感に包まれ、あんまり気にならないから大したものだ。
またスタローンもキャリアの絶頂期だけあって、何をやっても上手く行くという勢いが感じられるし、ロッキーとはきっちり芝居を変えてきているので、意外に演技派なんだなあと気付かせてくれる。
ランボーは無慈悲な殺人マシーンでは決してないし、トラウトマンは別格としても、今回の身内の敵マードックにも言葉とは裏腹に手を出せなかったりと、限界を持ち合わせた男でもあるのだ。

…ってことはないな、多分5回目か6回目。
といっても自分的にはかなりのハイペース。
<マーベル・シネマティック・ユニバース>作品では二番手だが、日本公開はこちらの方が『アイアンマン』より早かったので、<MCU>作品はこれが初体験。
マーベル作品はこれまでなかなかバラエティに富んでいたけれども、ここからは<MCU>と「X-MEN」の二強時代へ――。
といいつつ、<MCU>自体がかなりバラエティ豊かなラインナップ揃いなので、ジャンルが狭まったという印象はない。この世界観を同じにしながらも統一性のなさが<MCU>の強みでもあるのだろう。
この作品も旧作「ハルク」が人間ドラマ主体で重々しく描いていたのとは対照的に、舵を思いっきりアクション方面へきり、別物へと昇華させたのは評価に値する。かといってドラマ部分が希薄なのでは決してなく、そこはエドワード・ノートン、ティム・ロス、ウィリアム・ハートらの演技でしっかりとカバーされている。
役者が交代してしまったのでブルース・バナーのキャラクターに残念ながら統一性がないのが最大の難点ではあるが、単独の作品としての面白さは少なくても<MCU>の<フェイズ1>の中ではトップクラス。
興行的には<MCU>12作品中で最も振るわなかったようだが、もっともっと再評価されても良い作品だと思う。
<MCU>次回作である『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』では本作に登場したロス将軍が再登場。
予告編を見ると政府側の人間としてアベンジャーズを監視・監督する立場のようだが、スティーブ・ロジャースやトニー・スタークらとどのように絡んでくるのか興味津々だ。
またバナーや娘のベティに言及するシーンもあるのだろうか。

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フィラデルフィアに戻りミッキーの残したジムで一から出直しを始めたロッキーの元に、新進気鋭のボクサーであるトミー・ガンが自ら売り込みにやってくる。トミーはロッキーとの二人三脚で快進撃を続けるが、やがて自分がロッキーのコピー、ロボットと呼ばれることに我慢が出来なくなる。一方で息子のロッキーJr.は、父の関心が自分ではなく全てトミーに向けられていることに不満を抱いていた。
トミーとロッキーの溝を感じ取ったデュークは強引にトミーを引き抜くが、このことでロッキー父子はようやくお互いに向き合うことが出来た。
タイトルマッチに見事勝利し新チャンピオンとなったトミーだったが、観客はロッキーを見捨てたトミーに強烈なブーイングを浴びせるのだった。そこでトミーとデュークはロッキーを挑発、師弟対決を求めるのだが…。
テレビで過去の作品を見たことはあったけれど、劇場で「ロッキー」を見たのはこれが初めて。
でも上映前に『ロッキー・スペシャル/炎の青春』という20分くらいの総集編が付いていたので、すんなりと作品に入り込めたのは有難かった。
多分日本独自の編集モノだったと思うが、クライマックスシーンのオンパレードで大興奮の一篇だったので、もし映像が残っていたらDVDなどの特典で付けて欲しいものだ。

トミーとロッキーJR.は疑似兄弟関係になり、共に父ロッキーを取り合うという図式は面白いし、無一文になったロッキーが昔の帽子やジャケットを取り出して着るシーンなど小道具の使い方も上手い。
それにバージェス・メレディスを呼んできて、回想シーンに出てくるミッキーのシーンを撮り足すなど、細部への拘りも、シリーズ作品の惰性や「やっつけ感」がなくて好感が持てる。
そして何といっても音楽にビル・コンティが復帰したことで全体的に3割増し4割増しになっているのも確かだろう。
世代交代を図ってシリーズの延命を図ることもなく(例えばトミーやロッキーJr.に主役をバトンタッチするとか)、また最後にロッキーをリングに上がらせなかったのは英断だとは思うが、一人の英雄譚の締めくくりがストリートファイトだったというのはちょっと引っかかる。
ただ親子二人でシリーズの象徴的な建物であるフィラデルフィア美術館の階段を駆け上るラストシーンと、これまでのシリーズの場面を散りばめたエンドロールはなかなか良いと思う。
これで完結ということから邦題には「最後のドラマ」という副題が付けられていたが、興行的に振るわず作品内容もあまり評価されなかったことから次回作が実現することに。
【ひとりごと】
トミーを演じたトミー・モリソンは、ジョン・ウェインの甥だとかという触れ込みの現役ボクサー、ロッキーJr.を演じたセイジ・スタローンはシルベスター・スタローンの実の息子だが、二人とも近年相次いで若くして亡くなっているんだよなあ…。
【ひとこと】
「オレは厄介者の居候かよ!」
その通りだよ、ポーリー。あんたが全て悪いよ。
× × × × ×
マギー写真集「Your まぎー♡」

下着や薄物だけだったり入浴シーンがあったりのセミヌードがいっぱい。でも脱ぎ惜しみ出し惜しみしているというよりは、自分の見せ方・売り方を心得ているようですし、同性からの支持も多いようなので下品になったり嫌われたりしないギリギリのラインを狙ったのでしょう。
この写真集は男性向けと割り切り、同時に女性向けのフォトブックも出版するなど強かさも感じます。
× × × × ×
最上もが1st写真集「MOGA」

水着や下着?の写真が多いとはいえそれほど露出度が高めということではないのですが、彼女の独特のキャラクターや存在感があることと、スタイルが良いというより肉感的と表現した方が良さそうなボディーの持ち主ということもあって、全体的にはかなりセクシーな、もっと言ってしまえばエロカッコいい一冊になっておりました。
今後益々彼女の活躍が楽しみです。
× × × × ×
おのののか1st写真集「ぜんぶうそみたい。」

水着だったり下着だったりセミヌード?だったりと色々頑張っているのに、なんだか非常にもったいない作りです。
うーん、静止画、一枚の写真ではその魅力をなかなか掬い取ることが出来ず、彼女は動いてナンボなんでしょうかねぇ。
× × × × ×
菜乃花写真集「nanoka」

なかなかインパクトのある表紙ですが、全編通してこんな感じの写真のオンパレード。
もちろんヌード写真集ではありませんが、全体的に露出度は高め。
ただし今のグラドルとしてはこれぐらい当たり前なんでしょうね。
× × × × ×
吉木りさ写真集「OKOLE」

「吉木りさ」的にはそうなのかも知れませんが、何冊も写真集を出しているベテランとしては大人しめと言われても仕方ないかもしれませんね。
今どきのグラビアアイドルなら、ファースト写真集からもっと攻めている人もいますから。
むしろそういった方向性とは違う価値を見いだせたなら…。
写真そのものは綺麗だし、彼女も”素材”としては一級品だと思いますが、写真集としては「可もなく不可もなく」ですね。
× × × × ×
さて、これで一応2015年分もラストかな。
最後までお付き合いありがとーございました。
来年はどうなるかわかりませんけど、昔のものがいくつか出てきたので、そちらを取り上げるかも???

実際は二本立ての前後編というより、長い映画に途中休憩を入れたというところだろう。
江戸に在住の赤穂浪士たちは様々な手段で吉良側の動向を調べ、いよいよ内蔵助も江戸へ下ってき、着々と「その時」は近づいてゆく。
その中には恋愛模様も色々。
じっくりと描けばそれぞれが一本の主役ともなり得るエピソード揃いだがそれらはさらっと流し、それでも大事を控えた浪士たちの苦悩、葛藤を盛り込みながら討ち入りを迎えるという手堅い演出。
人によっては盛り上がりに欠けると思うかもしれないが、微妙な匙加減の中、辛うじてまとめ上げた稀有な作品との印象だ。
討ち入りのシーンで流れる音楽はまるで「ゴジラ」のようだ、と表されることも多いが、重厚且つ躍動感あふれる伊福部節が愉しめるのは悪くない。
先ごろ訃報が伝えられた原節子、その遺作は本作ということになるのか。
(前回の記事はこちら)

キャラクターデザイン、意外に石ノ森章太郎っぽくない部分もあるんですが(メインだとフランソワーズとか)、それでも当時の東映動画は、おそらく唯一TVシリーズを何本か並行して作りながら長編作品を量産出来るだけの組織力を持っていて、その作画力は安定しているので見応えはあります。
これはその直前まで放送していた東映=サンライズ版のTVシリーズの作画レベルと比べれば一目瞭然。
あれもあの頃にしては石ノ森タッチに近いデザインではありましたが、実際に出来上がった作品を見るとちょっと…でしたからね。
イシュメール号の地球接近のシーンが「未知との遭遇」っぽかったり、コマダー星から来た少年サバを初めて見た時に004が「エイリアンだ」と言ったりというのが目新しいところでしょうか。
その前年に「エイリアン」が公開され、宇宙人・異星人の新しい呼び名として定着しかかってる時期でしたねえ。
それにしてもキャッチコピーは勇ましいものの、実際に出来た作品は何ともスケール感のないものに。
スターゲイトを越えて一気に40万光年先へ。
40万光年って「ヤマトよ永遠に」と同じですなあ。あ、そういやどっちもラスボスが大平透だ。
この大帝王ゾア率いるダガス軍団というのもなんとも小さな組織で、尖兵を率いてくるガロは第一軍団長という肩書。
ということは第二軍団とか第三軍団とか色々いそうなんですが、部下として出てくるのはこの人のみ。
単にゾア自身が強大過ぎるだけなんですかね。
またゾアをサイボーグにしたのは、00ナンバーたちと対比させたかったんでしょうけれど機能せず。
004をピックアップしたのはファンに迎合した結果だと思いますけど、これも今一つだったみたいです。
そしてラストの004復活。
TV放映の時には不評だからカットされたという記述をよく見かけるんですが、これって単に放送枠の関係で切り詰めなきゃならないから、本筋に関係ない部分が選ばれただけじゃないのかしらん?
ああ、段々と作品が不憫になってきた…。
【ひとりごと】
音楽担当はTVシリーズに引き続いて すぎやまこういち。
新曲を書き下ろしてますが、足りなかったのかTV版の音楽も流用してます。
しかしそれなら最初からTV版をベースに追加すれば良かったんじゃないのかなあ、と思いますね。
馴染みのあるメロディーの方がファンも喜ぶだろうし。
【ひとこと】
TVシリーズ延長案として出されて没になった「ミュートス・サイボーグ編」を2時間で劇場版にアレンジ、という選択肢はなかったのかなあ。