思い立ったらすぐに出かけられ、日帰りできる場所を集めたガイドブック、といったところ。

自分がどこに住んでいるか、起点をどこに置くかによってもそこら辺は違うのだろうから、まあ、あんまり深く考えずに愉しむのが良いのだろう。
また「旅行」=「遠出」というイメージからするとあまりに身近な施設もあったりするけれど、これも変な先入観にとらわれてはいけないのだろうな。
全部で60のスポットが紹介されているけれど、その内自分が出かけたことがあるのは1割強。
まだまだ魅惑的なスポットが周りにはゴロゴロしてるんだなあ、と再発見させてくれた。

もしこのリストが明るみに出れば、国際情勢は大きく揺らぎかねない。MI6はCIAの協力を仰ぎ、リストを奪還すべく凄腕のエージェント、ロレーン・ブロートンを派遣、ベルリン支局のエージェント・パーシヴァルと共同で任務にあたらせる。
しかし極秘のはずのロレーンの到着は同じくリストを狙うKGBに筒抜けで、おまけにパーシヴァルも不可解な行動を見せる。実はロレーンにはもう一つ、二重スパイを探し出すという極秘任務も帯びていたのだ。
女スパイが主人公のスタイリッシュなアクション物かと思いきや、ハードで泥臭いサスペンスタッチの映画。誰が敵で誰が味方か、二転三転のどんでん返しが売りで、イアン・フレミングかと思ったらジョン・ル・カレだった、といったところ。
シャーリーズ・セロンはセクシーではあるものの、「女」の部分を強調したお色気サービスなシーンは皆無に近く(一応ヌードシーンは用意されてはいるものの)、ひたすら逞しいクール・ビューティーぶりを発揮している。

混乱と言えばクライマックスの怒涛の展開。裏切り者である二重スパイは、他人に罪を着せて始末し高跳びを図ろうとしたということなのか、あるいはそもそも二重スパイなどは存在せず、それさえも敵味方を欺くための周到に用意された罠だったということなのか。
今一つ得心がいかずに思っていたほど愉しめなかった。
ところでこの作品、シャーリーズ・セロンとジェームズ・マカヴォイは終始タバコをスパスパ。
おかげで見ていて気持ち悪くなってしまった。
一般的な、教科書や資料の類で見かける系図は父方のものですね。
誰の息子が誰で、誰それと結婚して息子が生まれ、それが結婚して…という具合に。
それを母方で作ってみたらどうなるのか。
歴史が違って見えてくるというわけです。

他にも清少納言と紫式部の孫が恋人同士だったり、母親の身分故に源頼朝が執拗に弟義経を攻めたのかとか、興味深い話がいっぱい。
新資料発見で歴史認識が変わる、というのはよくありますが、既存の資料の捉え方を変えるだけで、新しい発見があるというのはまさに「驚き」です。

しかしこの人は本当にイメージが変わりませんね。
内容も同じで、水着中心で露出が過激になることもなく、セミヌードと呼べるかどうか留まり。
良くも悪くもマンネリですが、逆に彼女の場合はその変わらなさを愉しむのが正解なのかな、と思えてきました。
彼女こそ「グラドルの鏡」と呼んでも、言い過ぎではないかも知れませんね。
石原さとみ写真集「encourage」

水着のショットもあるにはありますが、全体通して露出が高いわけでもない写真集がここまで売れるとは、彼女の人気の高さが窺えますねえ。
インタビューや友人、家族との対談などプライベートにもバッチリ迫る、というのは王道のアイドル本の作り。
女優の写真集というよりは、遅すぎたアイドルのフォトブックという方が内容を的確に表しているかもしれません。
桜井日奈子2nd写真集「桜井日奈子!」

「岡山の奇蹟」ももう20歳、ということでお仕事全開モード、ということでしょうか。
しかしこの写真集は全編「カワイイ」が詰まってます。
それに、昨今の写真集には珍しいと思いますが、水着や下着を含めてセクシーショットが皆無なこと。
アイドルよりも女優さんとして売っていきたい事務所の方針でしょうか。
これはこれで到って新鮮に感じられますね。
前書きの冒頭部分ですが、かなーりぶっちゃけてます。
ジブリ批判は何故タブー視されていたかも含め、ここまで言ってOKなのは押井監督だから、なんでしょう。

ジブリ作品を全部見てるわけではないですが、今まで漠然と感じていたモヤモヤした部分の幾つかは、この本を読んで「そうだったのか」「なるほど」と得心がいきました。その一方で、その解釈はよくわからない、というものもありましたが。
とりあえず「ジブリ、マンセー」な記事や書籍が氾濫する中、一風変わったガイド本としても使えるんじゃないかと思います。
【ひとりごと】
これは本筋には直接関係ないところではありますが、押井監督にジブリから声がかかったことが二度あり、その二度目の作品が「墨攻」だった、というのはちょっと面白い裏話だと思います。

こういう時はこういう言葉を使いましょう、こういった使い方は間違いです、というような指南書ではありません。
大上段に構えたものではなく、「ことば」に対するちょっとした「気付き」を綴ったエッセイ、そのぐらいに思っていた方が良いと思います。
それでも「こういう風に使い分けるとわかりやすいな」とか、「こんな表現あったんだ、初めて知った」ということも多々ありますので、誰かとコミュニケーション取らなきゃならないなあという時や、人前で説明したり、発言しなきゃいけない時、あるいは手紙を送ったり、時には論文(というか難い文章)を書く必要がある時などには参考になるんじゃないかと思います。
その反面「これはちょっと違うんじゃないのかな」ということもありますが、「ことば」は生き物ですし、それに「正解」はないのでしょうね。
第三章は第七話「光芒一閃!波動砲の輝き」、第八話「惑星シュトラバーゼの罠!」、第九話「ズォーダー、悪魔の選択」、第十話「幻惑・危機を呼ぶ宇宙ホタル」から構成されています。

今作最大の問題、封印された波動砲をヤマトはどうするのか、が描かれますが、古代は散々逡巡した挙句、あっさりと使用を決断。何故その結論に至ったのか、個人的には全く理解できませんでした。ドラマを盛り上げるためだけの枷なら、中途半端に扱わない方が良かったように思います。
おそらく今後の戦いを通じて更なる決断を迫られる局面も出てくるかと思いますが(スターシャが再登場し、古代たちと直接対面する場面があるのかどうかはわかりませんが)、既に二発目も撃ってしまった以上、どのような言い訳をするつもりなのか。「2199」スタッフによる些か意地悪な宿題をどう解決するのか、「2202」スタッフのお手並み拝見といったところでしょう。
古代に黙って密航していた雪、は「さらば」「ヤマト2」共通のシチュエーション。しかし今回は佐渡先生のみならず、島や山本ら多くのクルーがそのことを知っていて雪を匿っていたらしいことが明かされます。女性乗組員の多い「2199」「2202」ならではの改変でしょうか。
重圧に耐えかね、精神的にボロボロになった古代の前に敢えて姿を見せる、というのも「2202」らしい改変ですね。
その後、古代と雪は離れ離れになり、古代は究極の選択を迫られますが、そこは「ヤマトよ永遠に」を意識したところなのでしょう。雪のコスチュームも「永遠に」の時のパルチザン・スタイルを踏襲しています。
また何とか無事に再会を果たした古代と雪のシーンは「さらば宇宙戦艦ヤマト」を彷彿とさせます。他にも「さらば」のクラマックスを連想させるシーン(古代と沖田の会話など)もあるのは、これは「さらば」と同じ結末にはならないとのスタッフの決意表明のようにも思えます。
「さらば」でも「ヤマト2」でも終盤まで出会うことのない古代とズォーダーが早くも対面。併せて複雑なガトランティス人の成り立ちの一端も明らかになります。
人工的に作られた戦闘に特化した種族というガトランティス、それは古代アケーリアス文明と大きな関係があるようで、更にそのアケーリアス文明とテレサにも密接な繋がりがあることが示唆されます。
「星巡る方舟」ではテレサのテーマ曲がジレル人の描写に使われましたが、地球人、ガミラス人、ジレル人、それにガトランティス人も「遠きアケーリアスの子ら」なのでしょうか。
戦いにのみ生き、自身では生殖能力を持たないというガトランティス人の設定は、どこか暗黒星団帝国のような歪さも窺えます。

ヤマトの危機に流石の指揮ぶりを見せた土方が、今後どのようにヤマトを率いて行くのか。旧作通りであれば次章で早速ゴーランド艦隊との決戦が待ち構えていますが、楽しみです。
全体的に「さらば」寄りの設定やシチュエーションが目立つ「2202」ですが、斉藤は「ヤマト2」寄りです。
第十一番惑星の生き残りとしてヤマトに乗り込み、古代や加藤とぶつかる辺りは斉藤らしいと言えますが、「ヤマト2」ほど子供じみた性格ではなさそうなので、単なる暴れん坊にはならないことを願います。
クライマックスでは古代と斉藤で泣かせる場面があるのでしょうか。
ガトランティスも複雑な設定になっていましたが、ガミラス側も一枚岩とはいかないようです。現政権に反旗を翻す反乱部隊はデスラー信奉者と思いきや、デスラー以前の状態に戻すことを望んでいるようですし、現政権の中にあって重要な地位もしくは出自を持つらしいキーマンは、やはり彼を中心とする独自の勢力を持っているようです。
ガトランティスを含め、ヤマト艦内における不穏な動き。「2199」でもイズモ計画派による反乱劇がありましたが、二作続けて陰謀劇というのは如何なものでしょうね。個人的には一番見たくない展開かも知れません。
そして最後、エンドロール後のオマケシーンについに姿を見せるデスラー総統。
「さらば」とも「ヤマト2」とも違った運命が待ち構えていそうですが、「2199」で全く理解できなかった彼の行動原理が、今度は得心の行くものになっているでしょうか。
また今章では特に触れられていませんが、ただ一人だけテレサのメッセージを受け取らなかった雪も気になります。
結局「2199」では明らかにならなかった雪の正体が、今度こそ明らかになるのか否か。その結果、古代と雪に最大の試練が…?! などという展開は願い下げですが、これも「2199」スタッフから託された宿題ということになりますか。
第四章「天命篇」は来年1月27日公開予定。
自分が望んでいる方向とは少し違う方向へ進み始めたヤマト。
聞こえてくる絶賛の嵐に違和感を抱きつつ、次なる航海を待ちたいと思います。

前回行ったのも、このサンアゼリア大ホールだったかなあ。
ちさ子さんのみステージに登場し、12人の面々は客席から登場するパターンのオープニングはどうやら定着した模様。
途中で12人の自己紹介&バイオリンの奏法披露、というのももうお約束ですね。
しかし2年目、3年目のメンバーが何人かいて、顔と名前がなかなか一致しません。個性豊かでユニークな顔触れがそろっているのですがね。
いつの間にか加入し、一度もステージでお目にかからないうちに卒業しちゃった人もいるみたいで、今年が結成11年目とはいえメンバーの変動はなかなか激しいです。
しかも公式HPなどではメンバーの異動、変遷については触れられず、何人かが公式ブログやTwitterでコメント残すのみなので、全貌がなかなかつかめないのが辛いところ。

重層的、多角的に聴こえてくる「モルダウ」など、12人ならではの迫力です。
【追伸】
譜めくりのお姉さんが美人だったなあ。

<角川三人娘>の薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世は同世代なので、特に後半は角川映画がターゲットにしていた層に属するのだろうと思うけれど、改めて作品リストを見ると角川映画って殆ど見に行ってないことに気付かされた。
自分にとっての角川映画というのは、TVのCMで大量に流される宣伝コピーと、そして書店で平積みされた文庫本のイメージ。
劇場で見てる作品も何本かあるし、初期のものはビデオなどで見たりもしているけれど、全盛期をリアルタイムで体感してるわけではないので感慨はない。
「中身スカスカ」とか「金かけたCM」とか、そういったマイナスイメージが未だに払拭できてはいないのだけれども、こうやってまとまった作品製作の流れを見て行くと、日本映画界へ残した功罪のうち「功」の部分もかなりあったことが窺える。
そしてなんだかんだありつつも、角川春樹という人物もまた傑出した存在だったのだな、と認識させられた。
角川映画への再入門も悪くない、そんな気にさせられた一冊だった。

幻に終わった角川春樹と徳間康快、そして西崎義展とのコラボ。
結局のところ実現しない運命だったかもしれないが、仮にもし当初の計画通り実現していたなら、良くも悪くも日本映画界は変わっていたかもしれない。

飽きられる前に、賞味期限の切れる前に稼げるだけ稼いでおこうという事務所の方針なんでしょうか。
しかし今回の写真も乳首が透けて見えるものがあったり、お尻を全開にしてるものがあったりで、ここまで脱ぐのならもうオールヌード解禁でいいんじゃないのかなと思うのですが、やはり”最後の一線”は越えないギリギリの線で、引っ張るだけ引っ張るつもりなんでしょうか。
ピークを過ぎた後で脱いだとしても、本人にとってもファンにとってもあまりメリットがあるとは思えませんから、切り札は使える時に使った方が良いのでは?なんて思ってしまいます。
原幹恵写真集「my treasure」

最後だから、と極端な露出に走ることもなく(それでも過去最大?)、イメージチェンジは図られないまま。
坂本浩一監督のミューズの一人だけあって、彼女にはアクション女優の可能性を感じているので、これからは映像世界での活躍をもっと見たいもの。でもたまにはグラビアに帰ってきて欲しいな、とも思ったり――。
忍野さら写真集「さらら」

ということで待望のファースト写真集発売ということになります。
のっけから露出度の高い写真が続きますが、決して下品にならず、「明るさ」「健全さ」といったものは最後まで保たれてます。
紙媒体での名刺代わりの一冊ということになりますが、彼女のポテンシャルの高さは十分に堪能できました。
今後の活躍に大いに期待したいですね。