
沙織(アテナ)が敵に手中に落ち、青銅聖闘士たちは次々と倒れる。星矢が、紫龍が、氷河が、そして瞬が。
そのうちの瞬のピンチには兄の一輝が駆けつけ、一時は形勢逆転か?と思わせるものの、結局はより強大な存在の前に青銅聖闘士たちはボロボロに。
全編を彩る重厚な横山菁児の音楽に、流麗な荒木伸吾&姫野美智作画に酔い痴れるが、よくよく見ると作画のパースが狂ってたり、プロポーションがおかしかったり、デフォルメがきつかったりあるのだけれども、それが気にならないくらいのパワーがある作品でもあった。
【ひとりごと】
ドラマを盛り上げるためもあるんだろうけど、星矢の決断、遅すぎ。
あれじゃみすみすフレイを見殺しに…。
<過去記事>
BMXの自転車も流行りましたねえ、あまりブームは長続きしなかったけれど。
でも個人的に一番カルチャーショックだったのは、エリオットが仮病を使ってる時に口に咥えてる体温計。体温計って腋に挟むタイプのものしか知らなかった…。
そんなこんなも懐かしい不朽の名作、もう36年も前の作品になります。

なのでよく見ると見慣れた街並みが…と言いたいとこですが、アングルが違うせいか「あ、あの家だ」とはなかなかならない。でもわかる人にはわかるのでしょうね。
あちらは夫婦円満、こちらは母子家庭という違いはあれど、共に郊外に暮らす子供たちを中心にした、いわば姉妹編。「未知との遭遇」から生まれた双子と言っても良いかもしれません。
「ポルターガイスト」は「未知との遭遇」のリメイク的要素がありますし、「E.T.」は「未知との遭遇」の形を変えた続編と呼べそうです。
物語の展開は意外に早く、開始15分でエリオットとE.T.は出会い、30分でマイケル、ガーティの兄妹とも仲良しに。そしてエリオットとE.T.のシンクロは進み、学校での大騒動からE.T.が言葉を覚える件があり、通信機を組み立てようとするあたりでちょうど半分の60分が経過します。
ハロウィーンで外出するあたりから後半戦で、ここでE.T.を乗せたエリオットの自転車が空を飛ぶロマンティックなシーンが登場。ただ急転直下、行方不明のエリオットに半狂乱になる母親、病気のエリオットとE.T.、それにE.T.を探していた政府の人間の登場、と畳みかけるような怒涛の展開となります。
そしてE.T.との哀しい別れ。
――と思いきや、奇跡が起こり、少年たちの反乱が始まるこの高揚感。感動の涙が歓喜の涙に変わります。
この後の流れも、何度見てもグッとくるんだなあ。
続編を求められてもスピルバーグは首を縦に振らなかったようですが、これは正解。
基本「続編大好き、シリーズ化大好き」人間なんだけど、この作品にはいらないな。
そういや続編小説は刊行されたことがあったけど、なんだか微妙な作品だったっけ…。

その記事によれば、ヌードを要求されたのはエリオットが撒いたチョコレートに釣られたE.T.が家に来るまでのシーンで、それに対し「それは違うと思う」と抗議し、結局ベッドにうつ伏せになるという現行のバージョンに落ち着いたのだということなんですけど、ベッドにうつ伏せになるシーンなんてあったかなあ???
まあ何れにせよヌードシーンがあったら、少なくても親たちが子供たちを映画館へ連れて行くのをためらっただろうし、ここまで空前の大ヒットを飛ばすことはなかったでしょうね。
その反動(?)からなのか、「ポルターガイスト」の方では同じく母親役のジョベス・ウィリアムズには入浴シーンと、それに続くベッドで髪を乾かす場面で、騒霊によってシャツを捲りあげられパンティー姿を披露するシチュエーションが用意されている……。
<過去記事>

「スター・ウォーズ」といえば、主演のマーク・ハミル、本作のクリストファー・リーブ、それに「フラッシュ・ゴードン」のサム・ジョーンズまとめて「SF三大大根役者」なんて評してる記事を見たことがあるが、ハミルは才人だし、リーブは演技派である。
また「スター・ウォーズ」のキャリー・フィッシャー、本作のマーゴット・キダー、やはり「フラッシュ・ゴードン」のメロディ・アンダーソンとまとめてルックスが揶揄されたりしていたっけ。
それにしてもゆったりした映画だった。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/2923872/

お話は小説の方が映画より殺伐としていて、メイン格のキャラクターの生死もしっかりと描かれているし、<オアシス>内のアバターとリアルな世界での当人たちとのギャップも、より強調されている。
映画版は結局のところ、アバターも美男美女で現実世界でも美男美女で、こうしないとなかなか観客は感情移入しにくいだろうという配慮だろうけど、その点小説の方がリアルなヲタク像と言えるかも。
――と冒頭のナレーションで説明されるが、西崎Pは「重症の患者が退院するには些か早すぎる」と反省の弁。
しかしそれよりも気になったのが、2201年10月に始まった「宇宙戦艦ヤマト2」のドラマの終了から一カ月経つと、もう2202年になってしまうのではないか?ということ。
途中で停止したりスピードアップしたりもしたものの、白色彗星が地球に到達するまで60日とかいう台詞がなかったか。
そんな細かいことを気にしてはいけない「宇宙戦艦ヤマト」の新作。
映画「さらば宇宙戦艦ヤマト/愛の戦士たち」ではなく、分岐したTVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」の時間軸上の世界で、初めてのTVスペシャルとして作られ夏休みに放送された。

物語は「ヤマト」の新作ではあるが、どちらかというとデスラーを主役にしたスピンオフの印象が強い。
新乗組員を迎えてワチャワチャやってる楽しさはあるものの、ドラマ部分の比重の大半はデスラーに置かれている。こういった作品作りが後続の作品群に与えた有形無形の影響はかなり大きいのではないかと思う。
一方で安易なキャラクター人気に頼った作品の濫造に一役買った面は否定できないし、せっかくのヤマト側に用意されていた新乗組員の成長のドラマも今一つ描き切れていない部分が。
そして、そのドラマ部分に酔ってしまうので思考停止に追い込まれてしまうのだが、実は今回のヤマト=古代の行動はかなり危険。イスカンダル(に介入したデスラー)の救援要請を受けての出動、という形になってはいるものの、暗黒星団帝国とガミラス、イスカンダルとの紛争に、宣戦布告もなく奇襲攻撃の形で軍事介入しているからだ。
ガミラス、イスカンダル共に地球と軍事同盟を結んでいるわけでもなく、地球=ヤマトは全くの第三者であるにも関わらずだ。また暗黒星団帝国の目的がイスカンダリウムとガミラシウムという宇宙間戦争に必要なエネルギー源となる鉱石の採掘だと知ると、戦争のためのエネルギー入手は許せない、と古代は断罪する。
だがこれも暗黒星団帝国側の事情をまるで分からない状態で判断して良いものかどうか。例えばこれがパート1の時の地球のように滅亡の危機に瀕していて、起死回生の一打を放つために必要不可欠なものだったとしたらどうなのだろう?それでも「許せない」と言い切ることが出来るのだろうか。
久しぶりに、しかも「斜めに」見ていたら、こういったことが色々と気になるようになってしまった。
まあ一番すごいのは暗黒星団帝国の情報収集力の高さだろう。
遭遇してすぐに「ヤマト」という艦名とその所属する母星の位置、また艦首波動砲の存在などを知っているのだから恐るべし。
その一方で、デスラーたちガミラス残存艦隊の正体には最後まで気付いていなかったように見えるその落差は一体…?
【ひとりごと】
イスカンダルの女王は「スターシャ」と書いて「スターシア」と読む。
リメイク版の「2199」以降に感じる違和感はこれが原因だが、何故か今回、古代守だけは終始「スターシャ!」と呼んでいる。なぜアフレコの際にリテイクださなかったのか。
<過去記事>
http://odin2099.exblog.jp/2906841/
http://odin2099.exblog.jp/17552800/
シリーズで初めて前作ラストに直結するオープニングと言われていたが、何度見直してもそれほど連続性があるように感じられない。
レジスタンスが辛くも勝利を収め、レイはルークを探し当て、で終った「フォースの覚醒」だったが、本作はいきなりレジスタンスのピンチで始まるからだろう。この流れ、「新たなる希望」と「帝国の逆襲」の繋がりとソックリで既視感が…。
このレジスタンスとファーストオーダーの攻防戦を描いた後に、場面はレイとルークのパートへ。
こちらは前作ラストの完全な続きで、レイがライトセーバーをルークに差し出すところから始まるのだが、もしシーンの順番を入れ替えこちらが先に来ていたら、素直に前作直結だと納得できただろう。もちろん映画のオープニングとしては些か弱いものになっていただろうが。

しかし答え合わせがなされたものの、それが本当に正解なのか?という疑問符がつくものばかり。
レイの両親は名もなき市井の人とのことだが、では幼いレイを置いて(宇宙へ)去っていったのは誰なのか、レイがルークのライトセーバーに感応したのは何故か(オビ=ワンがレイを呼ぶ声まで聞こえる!)、全ては偶然とか、レイが特異な存在だということで片付けるつもりなのだろうか。
またあっけなく退場してしまったスノークだが、その背景には触れられず仕舞い。やれダース・プレイガスだの、メイス・ウィンドゥの後身だのと噂は飛び交っていたが、これで再登場はないのか。
そういえばフィンはランド・カルリジアンの息子、なんていう噂も流れていたっけ。
旧作以上に行き当たりばっかりで作られている感が強い<新三部作>、早くも次なるエピソード10以降の話が聞こえてきているが、その前にしっかりと次回作エピソード9で納得出来る完結編を見せて欲しい。
【ひとりごと】
レジスタンスの女性パイロット、タリサン・”ターリー”・リントラが可愛い。
演じているのはハーミオーネ(ハーマイオニー)・コーフィールドという女優さんで、「Mr.ホームズ/名探偵最後の事件」や「キングアーサー」などにチョイ役で出演…と言っても気付かなかった。
「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」では同じくチョイ役ながらも、「レコード屋の若い女性店員(実はIMFのエージェント)が可愛い」と目聡いファンに注目され、その後は「トリプルX/再起動」ではやっと出番が増え……もっともっと幅広く注目されると嬉しい。
残念なことにターリーは戦死してしまったので、今後の<スター・ウォーズ・サーガ>への出演は叶わないだろうが…。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/26269668/
https://odin2099.exblog.jp/26410542/
わが国でもNHKの放送終了時は「君が代」が流れたっけ。
今じゃ24時間放送が珍しくないけれど、まだまだテレビの深夜放送が珍しかった時代だ。
その放送終了後の通称「砂の嵐」に向かって語りかけるキャロル・アン。これが怪異の始まり。
何かが起りそうな空の色、家の横にある不気味な大木、長閑な新興住宅街の風景を映し出しながらも、少しずつ少しずつ予兆を盛り込んでいく。

ところがここでキャロル・アンが何者かによって連れ去られ、ここで物語は一挙に進展する。約2時間の映画の内、おおよそ三分の一が経過したところだ。
ここで専門家が現れて怪異現象への一応の説明が始まり、キャロル・アンがひとまず無事であること、そして事態への対処方法の模索が始まる。しかし現象は専門家たちの想像を超えていた。家族には次々と変事が起り、ここで助っ人が登場。これが単に超常現象や心霊現象の専門家ではなく霊能力者なのである。
ここまで比較的理詰めでお話が進められてきたので、一気にファンタジー方面に舵を切ったというか、胡散臭さが醸し出されるために、ここで脱落してしまう観客もいるかも知れない。
映画はここまでで三分の二まで来ている。
この胡散臭い人物が実はかなりの実力者で、これまで事態を持て余し気味だった専門家たちに代わり、見事に解決方法を見つけ、ようやくキャロル・アンを取り戻すことに成功。
スピルバーグ作品では「未知との遭遇」では怪異を切っ掛けに家庭が崩壊するし、同時期に作られた「E.T.」では母子家庭が主人公だが、この「ポルターガイスト」では夫婦円満。それがキャロル・アンを連れ戻す鍵になった、というのは珍しいのかもしれない。
ところが上映時間はまだ残っている。
ハッピーエンドかと思いきや、ここで畳みかけるような一大スペクタクルシーンが登場。何故この家で怪異現象が起きたのかの謎解きも行われ、ようやく物語は終幕を迎える。
同時期に「E.T.」を監督していたため、多忙なスピルバーグはトビー・フーパーに監督を委ねたものの、未だに真の監督は誰なのかが話題になるのは、他のプロデュース作品と違って(自ら脚本も手掛けているということもあるのだろうが)如何にもスピルバーグらしい作品だと受け取る人が多かった証拠だろう。
スピルバーグ印なので、ホラー映画ではあっても一応はファミリーピクチャーに分類されると思うが、母親役のジョベス・ウィリアムズにはちょっとセクシーなショットが盛り込まれている。
緊迫したシーンなので息抜きにはならないし、サービスカットだとしても入れるタイミングがなあ…。
【ひとこと】
今回はBlu-rayで鑑賞したのだが、搭載されてる日本語吹替が酷すぎ。
といっても出来の問題ではなく、ブツブツ切れてしょっちゅう「原語+字幕」に切り替わってしまうので、落ち着いて見てられないのだ。
新録するか追加録音するか、あるいはもっとカットの少ないヴァージョンでの収録は出来なかったものか。
<過去記事>
俗に第三次と呼ばれるウルトラブームのトップを切って、春休みに公開されて大ヒット!

<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/2824086/
――だったのでしょうが、こちらは今一つ盛り上がらず。

もっともそのことで生理的な嫌悪感が先立ってしまい、純粋にファンタジー映画として愉しめなかったのは以前書いた通り。差別主義者だと言われようとも、こればっかりは仕方ありません。
肝心の筋立てそのものも<スター・ウォーズ>以上に神話・伝説の類からの影響が、オブラートに包まれることなく直接滲み出ていて、「どこかで見た(聞いた)」感がありありと…。
監督はロン・ハワード。
ジョージ・ルーカスが監督した「アメリカン・グラフィティ」には俳優として出演しており、この作品ではプロデューサーと監督という立場で再タッグ。そしてルーカス抜きで作られてはいるものの、最新作「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」では現場のゴタゴタを収束させ、代理監督を務めています。
ルーカスはハワードを、感覚や感性が自分に近い人物と見ているようで、以前「書きかけの文章を途中から引き継いでも大丈夫」というような趣旨の発言をしていましたが、ハワード本人は自分がコントロール出来ない雇われ監督としての「ウィロー」の仕事には満足していなかったみたいですね。
といいつつ、最近ではこの「ウィロー」の続編企画について何やら動いている様子。
直接の「ウィロー2」ではないものの、成長したエローラ・ダナン姫が中心になり、ウィローも重要な役割を果たすものだとか。
今度こそルーカス・フィルムの第三の矢となるのかどうか、ちょっと期待しちゃっていいですか?
【ひとりごと】
ソフト収録の吹替版だとワーウィック・デイビスの声が富山敬で、ヴァル・キルマーの声が谷口節なので、聴いていて何となく落ち着かないんですよね。

原作:手塚治虫、プロデューサー:西崎義展、監督:富野由悠季というビッグネーム揃い踏みを、後世のアニメ研究家たちはどう見るのだろうか。

この映画版は「宇宙戦艦ヤマト」同様、西崎プロデューサーの指揮のもと舛田利雄監督らの手で再編集。
そういった時間的制約から、当初は全27話を70分でまとめるという話があったものの、流石に無謀だと判断したのか、結局は前半部分だけをまとめることになったのは以前にも記した通り。後半部分も同様にまとめられたが劇場公開には至らず、後年ソフト化される際に初めてお披露目となった。
前後編合わせて140分ほどの上映時間になるが、これは同じように半年分の放送をまとめた「宇宙戦艦ヤマト」劇場版とほぼ同じ。
「ヤマト」と違うのは、台詞・効果音・音楽を別々にした音声テープが存在せず、おまけに主役のトリトン役・塩屋翼が声変わりしてしまったために再アフレコ出来ないという事情のため、シーンの途中でBGMがブツブツ切れたり、原音カットの上でナレーション処理したシーンが存在すること。それ故に映画としての完成度は今一つに感じられるのは残念。
ドラマは面白いし、鈴木宏昌の音楽も今日でも十分に通用すると思うので、オリジナル版を損なわない形でならリメイクしてみても面白そうだが、今作り直すとすると手塚原作に忠実なものを、という声も無視できないだろう。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/2852093/
https://odin2099.exblog.jp/17402009/