2作目は1作目が公開される前から製作がスタートしていたが、2作目と3作目の間にはインターバルが。
監督が交代したこともあるし、子役たちが成長したこともあるけれど、前2作とはかなり雰囲気が異なるものに。
比較的小説版に忠実に作られてきたこれまでとは違い、この3作目は原作小説をかなり大胆に刈り込み、「あれがない」「これもない」は今まで以上に増えた。ただその分映画としての独自色が強く出るようになり、以後小説は小説、映画は映画とそれぞれ別の道を歩むことになる。
公開当時は物足りなさや違和感の方が大きく、ぶっちゃけ前2作に比べると不満度も高かったのだが、映画が全8作で完結した今ではこの作品が一番好きかもしれない。

ただ今回はヴォルデモードは実は直接関わってこない。確かにヴォルデモードに起因する因縁話の上での事件だが、まだハリーたちは外からの直接的な脅威には晒されていないのだ。シリウス・ブラックの脱獄は裏切り者ピーター・ペティグリューへの復讐の為だし、リーマス・ルーピンが暴れることになってしまうのはその習性と性癖の故だ。ヴォルデモードは一切関知しない。ハリーたちが大いなる脅威に脅かされるのは、まだ先の話である。
今まで鬱屈した生活を送ってきたからか、ダーズリー一家に対しハリーは初めて生の怒りの感情をぶつける。ダンブルドアが何故幼いハリーをダーズリー一家に託したかは後の作品で明らかになるが、ハリーの育ち方を見るとそれで本当に良かったのかな、という気がしないでもない(余談だが、生まれてすぐラーズ夫妻に密かに預けられ育てられたルーク・スカイウォーカーとの共通点を感じる)。
リチャード・ハリスが逝去したため、本作からダンブルドアの配役がマイケル・ガンボンに交代。後任候補にはイアン・マッケランも上がっていたが諸事情で実現しなかったが、もしマッケランだったら流石にガンダルフと被ってしまう。ただハリスとガンボンは面差しがまるで違うので、まだマッケランの方がイメージを踏襲できたかもしれない、とは思う。
また配役のことをいえば、ルーピンはユアン・マグレガーに演じて欲しかった。ファンからの要望も多かったようだが、個人的にはデヴィッド・シューリスにはどうも悪役のイメージしかないもので。
同様にシリウスの個人的なイメージキャストはヴィゴ・モーテンセンだったが、こちらはヴィゴがイギリス人ではないので無理な話か。
【ひとこと】
人狼ということでいわれなき迫害を受けてきたルーピン。差別問題が騒がれる昨今、この作品も様々な視点から再評価されるべきかと思う。
【おまけ】
「ルーピン」のスペルは”Lupin”、しかし日本ではこの名前、一般的には「ルパン」という表記の方が馴染み深そう。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/10648257/
石器時代を舞台にした「紀元前百万年」を、レイ・ハリーハウゼンのダイナメーション(パペットアニメ)を用いてリメイクした、イギリスはハマー・プロの作品。
未だきちんとした言語を持たず、文明の曙の頃の我々のご先祖様と、それよりも時代を遥かに遡った太古の時代に地球上を闊歩したと思しき恐竜さんたちが共存しているという図は、一般的には「ありえねー」の一言で片付けられてしまうだろうけれど、それを示唆するオーパーツも存在することだし、これは”定説”の方が間違ってるんじゃないの? 少なくてもスクリーンの中では、そうじゃなくちゃつまらない。ということで楽しく鑑賞。ちっちゃい頃にTVで放送されたやつを何度か観ていると思うけれど、ちゃんとした形(?)で観るのは今回が2度目か3度目。実は最初の方は結構だるいのだけれども、映画が始まって三分の一ぐらいが経った頃にラクエル・ウェルチが登場すると一気に目が覚める。
この映画、確かに見せ場はハリーハウゼンの魔法の手によって生き生きと描き出される恐竜さんたちにあることは間違いないのだけれども、全編通して楽しめるのは、半裸で動き回るラクエル・ウェルチのグラマラス・ボディ。”20世紀最高のグラマー”とは良く言ったものだ。
前作「ミクロの決死圏」では助演扱いだった彼女も、この作品ではビリング・トップの堂々たる主演女優。出世したもんである。
というわけで、恐竜大好きな良い子のみんなにも、恐竜好きなフリをしてるだけの悪い子のみんなにも、等しくお勧めの一本。
ただ、あまりにも邦題から過剰な期待をしてしまうと、恐竜さんたちはそれほど出番が多くはないのでガッカリしてしまうかも…?
――というのが10年くらい前にこのブログに書いた記事なんだけど、今回も同じ感想。
ちょっと違うのは、お話が単調なので途中でだれてしまったことくらいかな。
お話は「紀元前百万年」と殆ど同じ。多少前後したりシチュエーションが変わったりというのはあるけれど、見覚えのあるシーンが色々出てくる。
違うのはトゥマクの部族の風習やキャラクターたちが細かく描かれてる点。それにロアナが翼竜に浚われるシーンから始まるクライマックスが異なる展開を迎えること。旧作は二つの部族が協力して恐竜を倒してメデタシメデタシだったが、本作では火山の噴火で容赦なく犠牲者が続出し、最後に生き残った人たちが呆然と変わり果てた大地を見つめるところでエンド。なんだかドライだ。
カラーになり、トカゲ恐竜も勿論、ストップモーションで命を吹き込まれた恐竜たちもパワーアップしてるけれど、一番パワーアップしてるのは両部族の女性キャラたち。皆格段に露出度がアップ。
そしてなんといってもヒロインのロアナがボリュームアップ。やっぱりこの映画、ラクウェル・ウェルチを見るためのものだよなあ。
<過去記事>

倍賞千恵子、木村拓哉、美輪明宏、我修院達也、神木隆之介、加藤治子…というキャストでも、合格点を上げられるのはせいぜい我修院達也と神木隆之介くらい。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズは元々ジブリのファンだったそうで、この映画も好意的に受け止めていたようだが、果たしてそれは本心だったのだろうか。
この作品以降、ジブリとジブリフォロワーによる英米児童文学のアニメ化は続いていく…
【ひとこと】
「ハウルの動く城」ってそういう意味で「動く」んじゃないんじゃないの?
まるで機械仕掛けのでっかい虫で気持ちが悪い。
<過去記事>
まだまだ色褪せない「同時代性」を保ち続けてる作品ではありますが、庵野監督の話題は先ごろ発表された2020年公開予定の「エヴァンゲリオン」新作(完結編)の方へ行っちゃってますが。

<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/24561344/
https://odin2099.exblog.jp/25157234/
その微生物が宇宙由来ということでSFに分類されてはいるものの、エボラ出血熱などの騒動を経てみれば絵空事ではない身近な題材。そのボーダーレスぶりは流石にクライトンである。

<過去記事>
というお話だと思いきや、むしろ主人公はこの謎の美女の方だった。
断片的に自分語りが入るものの、それはやや一貫性を欠き、それがまた彼女の謎めいた魅力となっているが、総合すると彼女には結婚には至らなかった恋人がいたか、もしくは既に別れた夫がいて、子供もいるようだが一緒には住んでおらず、夜ごと街へ繰り出しては本能の赴くままに若い男を求めている、ということらしい。

という以上に、ディノ・デ・ラウレンティスのプロデュース作品という文脈で語られることの多い作品で、賛否両論というより「否」の烙印を押されがち。それでもこのコンビは10年後に続編を作ってます。
斯様にキングコングというのは多くの人を魅了する存在なのでしょうか。
時期的には「大空港」、「ポセイドン・アドベンチャー」、「タワーリング・インフェルノ」などのパニック物の流れを汲み、かつポスト「ジョーズ」を目論んだ作品だろうと思いますが、ジェフ・ブリッジス、チャールズ・グローディン、ルネ・オーベルジョノワ、ジョン・ランドレクら出演者は、超大作映画としてはかなり小粒。これは大物俳優を起用してコントロール不全を起こすことを製作側が嫌ったからだとか。
しかし全てはヒロイン役の新人女優ジェシカ・ラングを際立たせるため、というのは深読みのし過ぎ?

島民に誘拐されてからは原住民仕様の薄物を纏わされますが、コングに捕まり追いかけられ、泥だらけになると滝のシャワーを浴びせられ(コングは息を吹きかけて彼女を乾かそうとしますが、その時の彼女が段々と官能的な表情に変わっていくのが意味深)、挙句には指で体中をイタズラされ、ドサクサ紛れで服をずらされおっぽいポロン。1933年版も2005年版も、ヒロインにここまでエロティックな描写はありません。
結局この映画は、お話がどうのこうのとか、コングがどうこうという以前に、ジェシカ・ラングのPVとして成立しているということでしょう。
子供の頃にエンパイア・ステートビルに上って以来「高所恐怖症」になったと語るヒロインですが、これは一種のセルフパロディ?
1933年版のクライマックスで有名なエンパイア・ステートビルはこの1976年版では登場せず、代わりに出てくるのがコングの故郷に似た風景(と無理矢理関連付けられた)のツインタワービル。この変更は当時相当叩かれたようですが、今となっては亡きワールドトレードセンターが舞台というのは感慨深いものがありますね。2005年版では再びエンパイア・ステートビルが舞台になりますが、これは1933年のオリジナル版と同じ時代設定とされたためです。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/2315686/
前作のラストから直接引き継がないのは前作「二つの塔」のオープニングと同じだが、一気に過去へと戻し、まだスメアゴルと呼ばれていた頃のゴラムが、”ひとつの指輪”を手に入れ如何に変貌していったかを描いたのには正直驚いた。「旅の仲間」でビルボがゴラムから指輪を奪った経緯は描かれていたが、それ以上の描写はないだろうと思っていたからだ。
結果的にここでゴラムの回想を挟むことで、ゴラムの指輪に対する執着や自身の葛藤へ繋げるのだから、なかなか計算されたシナリオ、演出だったと言える。

それに短期間にかなりのハイペースで見直しをしていたので、お話が重たいと感じるだけでなく、多少飽いた面も。
かくして指輪を巡る壮大な旅は終わりを告げたが、物語は終わらない。時を遡り、指輪の因縁が新たに語られるもう一つの三部作が幕を開けるのであった。
またAmazonはネット配信ドラマとして、この映画の前日譚にあたるオリジナルの物語の製作を発表。詳細が不明なのでスタッフやキャストがこれら劇場版と共通するのか、それとも全くの別物として作られるのかはわからないが、「中つ国」の冒険がまだまだ続くことは間違いない。本作でガンダルフを演じたイアン・マッケランは、新作ドラマでの続投に意欲的のようだが。
【ひとこと】
エンドクレジットにショーン・ビーンの名前があるのが嬉しい。ボロミアは「旅の仲間」で命を落とし、本作ではフッテージ流用による回想シーンのみの出演だが(実際には出演シーンの撮影はされたが最終的にカットされた。<エクステンデッド・エディション>ではその雄姿を見ることが出来る)、彼も立派な”旅の仲間”。大事にされ、愛されてる感が端的に伝わってくる。
<過去記事>
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この映画の凄いところは30分という尺のなかで、様々な要素を盛り込み、そして消化している点。

この映画の公開日は昭和50年7月26日、つまり今日で43年になるそうな。
単独でソフト化されたり、TV等での放送、劇場等での再上映の機会に恵まれず、気軽に見られる状況にないのが残念でならない。
【ひとこと】
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/2526310/
https://odin2099.exblog.jp/22908199/
今回の監督は「アイアン・ジャイアント」や「Mr.インクレディブル」のブラッド・バードで、実写映画の監督はこれが初めてながら、大抜擢に見事応える仕事ぶりを披露した。

<過去記事>
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