【徒然なるままに・・・】

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「きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せん」(森鴎外『舞姫』) HNは”Excalibur(エクスカリバー)”

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「屋根裏の散歩者」に続いて江戸川乱歩作品を実相寺昭雄が監督。
明智小五郎役は引き続き嶋田久作が務めている。

e0033570_19153280.jpg古本屋の女将・時子は美術品の修復を生業としている蕗屋清一郎を訪ね、伝説の責め絵師・大江春泥の「不知火」の贋作を依頼する。見事にその期待に応えた蕗屋に、時子は更に幻の作品である「明烏」の贋作をも依頼する。だが見本もない状態では流石の蕗屋も苦しみ、時子が用意したモデルを前にしても一枚も描けない。が、ふと鏡に写ったモデルの衣装を着た自分の姿に閃き、見事に「明烏」を完成するのだった。

しかし完成した絵を届けに行った蕗屋は、春泥の絵のモデルが若かりし頃の時子自身だったことを知り衝撃を受ける。そして時子が他殺体となって発見された。第一発見者である古書店の従業員が容疑者として逮捕されるが、警察は今ひとつ確証が持てない。そこで探偵事務所を営むことになった明智小五郎に声が掛るのだが…。

天才贋作家の倒錯的な人物像を真田広之が怪演。物語のキーパーソンとなる古本屋の女将に吉行由実、それに岸部一徳、六平直政、寺田農、堀内正美、東野英心、広瀬昌亮、岡野進一郎、原知佐子といった個性的な面々や、実相寺組としてお馴染みの顔触れが並んでいる。そしてモデル役の大家由祐子が初ヌードを披露。
倒錯的と言えば明智の助手である小林少年は女優の三輪ひとみが演じているが、ラストにはその小林芳雄が女装する(?)シーンもある。

最初から誰が犯人かは明らかになっているし、犯人像を絞り込む明智の推理も意外にあっさりしているので謎解きの妙味は味わえないが、その分真田広之ファンにはたまらない作品だろう。ただただ真田広之の所作、佇まいを愉しむ作品と言い切っても良いかも知れない。
しかし「乱歩×実相寺」ということで、作られた瞬間からカルト化は必至。見る人を選ぶ作品であることも間違いないところである。



by odin2099 | 2019-01-19 19:18 |  映画感想<タ行> | Trackback | Comments(0)
昨年は日本では一本も作品が公開されなかった<DCFU>ですが、今年は何本か見られそうなので、それに備えてこちらもお浚いです。
しかし今でも<DCFU>の呼び名は有効なんでしょうか。<DCフィルムズ>という呼称も定着しませんでしたしねえ。

またこの作品、ワーナー・ブラザースとレジェンダリー・ピクチャーズとの最後の提携作品です。
かつて<ダークナイト・トリロジー>などのヒット作を生み出しましたが、その後関係が悪化したとのこと。
レジェンダリーは今ではゴジラやキングコングを使って<モンスター・バース>を構築してますので、もしかするとその選択の方が正しかったかも知れませんね。

e0033570_23151643.jpgさて「スーパーマン」をリブートした本作は、従来のスーパーマン像とは些か趣きを異にする英雄譚となりました。コスチュームの色合いもそうですが、スーパーマンらしからぬ地味さ。そして苦悩する人間臭いスーパーマンです。

また「スーパーマン=カル・エル=クラーク・ケント」の境界線が曖昧というか、その区別がほぼない、というのも斬新です。
ロイスはまだスーパーマンとして覚醒する前にクラークに出会っていますし、クラークの旧友たちも彼が只者ではないことを知っています。
軍やデイリー・プラネット社の人間は兎も角、メイン格のキャラクターは皆この関係性を知っているか、薄々気付いているというのは珍しいでしょう。

クラークの養父ジョナサンは、極力秘密を守るように言い残していましたが、結局のところこの苦労は無駄に終わったことになります。
勿論不用意に周囲に漏らすことはなかったでしょうが、結果的にクラークは孤独ではなく、これがあくまでもクリプトンの同胞たちを蘇らせることに固執したゾッド将軍に同調しなかった理由なのかも知れません。
そのためにクラークはゾッド将軍を自らの手で殺めるという、これまた従来のスーパーマンでは考えられない行動に出ますが、それも自分を受け入れてくれた地球人を愛するが故の決断です。

そんな新しいスーパーマンの物語に最初は戸惑いましたが、何度か見直す度に新たな魅力に気付いて行きましたが、作品全体を覆う重苦しいトーン、これは逆にどんどん気になりだしました。やはりスーパーマンには明るさや爽快感が欲しいですね。結局このあたりの判断ミスというか方向性の選択が、その後の<DCFU>の迷走ぶりを決定づけてしまったと言えそうです。

「マン・オブ・スティール2」の企画も持ち上がっていたようですが、その後は音沙汰も無し。
それどころかエイミー・アダムスやローレンス・フィッシュバーンらメインキャストのネガティヴな発言や、降って湧いたようなヘンリー・カビルの降板の噂。
少なくても当分の間スーパーマンの登場する映画は作られないという話や、スタッフ・キャストを一新して再リブートするという話などチラホラ聞こえてきますが、個人的に現行キャストは気に入っていますので、何とか体制を維持したまま新たな冒険を描いて欲しいものです。

<過去記事>



by odin2099 | 2019-01-17 18:59 |  映画感想<マ行> | Trackback | Comments(0)
1969年夏の<東映まんがまつり>の看板番組で、TVシリーズ「仮面の忍者赤影」から数本のエピソードをピックアップ、立体映画として再構成したもの。
目玉となるアクションシーンの多くはキャストを再結集して再撮影。他にも場面転換などの場面で追加撮影を行った、限りなく新作に近い総集編映画である。

e0033570_18453825.jpgダイジェストなので細かいお話はよく分からなかったりするのだが、荒唐無稽でありながら意外に時代劇のツボを押さえた作風はなかなか。この際、TVシリーズを全部見てみようかと思ってしまうくらいだ。

TVの「赤影」は放送が終わって1年半近く経っての劇場版製作で、当時の「赤影」人気は凄かったんだなと思っていたのだが、実は最近これが代替企画だったことを知って二度ビックリ。実はこの夏の<まんがまつり>のメインは、最初から「赤影」だったのではなかったのだ。

本来予定されていたのは、佐々木功(ささきいさお)が主演だったことで一部アニメファンにも有名な「妖術武芸帳」、これを立体映画化しようとしていたのである。
ところがこの「妖術武芸帳」は僅か3カ月で夏を迎える前に打ち切り。そこで急遽白羽の矢をたてられたのが「赤影」だったというワケ。その割には(準備期間がどのくらいあったのかわからないが)よくキャストを揃えて再撮影出来たものだと思う。

「ウルトラセブン」の後番組「怪奇大作戦」で怪獣から怪奇へと路線変更、更にその後番組である「妖術武芸帳」が打ち切られたことで大きく方向転換、その結果生まれた「柔道一直線」がヒット作となり、それが直接間接に影響を与えて後の「仮面ライダー」の大ヒットを生み出したのだからわからないもの。

ささきいさおも俳優から声優にシフトして「科学忍者隊ガッチャマン」のコンドルのジョーで人気を博し、それが「新造人間キャシャーン」の主題歌起用に繋がって「宇宙戦艦ヤマト」などのヒットで今や押しも押されぬアニメソング界の大王とまで呼ばれるようになったのだから、何が幸いするかは神のみぞ知る、といったところか。

<過去記事>




by odin2099 | 2019-01-17 18:51 |  映画感想<カ行> | Trackback | Comments(0)
今度こそロッキーの物語に終止符が打たれたかと思いきや、意外な形で新章が生まれた。
若き新主人公を立て、ロッキーを今度は”導師”の立場に置いたリブート企画で、しかもスタローン発ではないことが特徴。
しかもその新主人公アドニスがロッキーの宿敵にして親友アポロの息子、というのもポイントが高い。

e0033570_18425024.jpgこれがロッキーの息子だったらありふれた、また陳腐なものになっただろうが、アポロの息子でありながらも非嫡出子というのも目新しい。そうでありながらアポロ夫人メアリー・アンの養子になっていることから、正当な血筋という訳だ。

そしてロッキーと師弟関係を結ぶことで、アドニスはメアリー・アン、ロッキー双方と疑似親子関係を結ぶことに。本当の親子関係を知らないアドニスが、それでも”親子の絆”というものがどういうものかを学び取って行くという物語にもなっている。

一方のロッキーも実の息子とは疎遠になっていて、あり得た理想の息子像をアドニスに見ていたのかもしれない(息子にボクシングを教えたものの、本人が嫌がったことが語られる)。

「ロッキー」シリーズを見ていなくても愉しめると思うが、シリーズを見続けていれば感慨深くもなる。
エイドリアンズもミッキーのジムも健在で、エイドリアンの墓の横にはポーリーの墓。ロッキーが座るための折りたたみ椅子もそのまま。
そしてラストはフィラデルフィア美術館の階段(通称”ロッキー・ステップス”)。正当な<ロッキー・サーガ>の後継者だ。

<過去記事>



by odin2099 | 2019-01-17 18:43 |  映画感想<カ行> | Trackback | Comments(0)
e0033570_20375451.jpg空想癖のあるいじめられっ子、それが主人公のバスチアン。良く言えば夢見る心を持った少年、悪く言えば現実逃避型の少年である。そんな彼が手に取った本の題名、それが『ネバーエンディング・ストーリー』。
この本を読み進めて行くうちに、バスチアンは不思議なことに気付く。本の中の主人公・アトレーユの物語に、なんと自分自身が存在していることに。

このアトレーユの物語の舞台となっている<ファンタージェン>は、<無>によって消滅の危機に瀕していた。アトレーユはこの世界を救うべく、様々な苦難に出会う冒険へ旅立つことになる。しかしこれらアトレーユに課せられた試練の全ては、読者(=バスチアン)を惹きつける手段に過ぎなかったのだ。

実は<無>とは<絶望>そのものであり、<夢>や<希望>を人間が失いつつあるために、その具象化である<ファンタージェン>が滅亡寸前になっていることが明らかにされる。その<ファンタージェン>を救う鍵は<夢>をたくさん持った少年の存在…。これは、ある種現代社会に対する警鐘だとも言える。人は<夢>や<希望>を失ってはいけないのだ、という強いメッセージを内包した映画なのだ、と。

ブライアン・アダムス指揮するSFXは、このファンタジー世界を見事に具現化して見せた。技術的には難点があるものの、ファンタジーとしての説得力のある映像を作り出した手腕は評価して良い。
音楽も、クラウス・ドルディンガーに加えての売れっ子ジョルジオ・モロダーの参加は、プラスに作用しているようだ。一例をあげるなら、ラッキー・ドラゴンのファルコンが翔び立つと同時に流れるBGMが『E.T.』のクライマックス・シーンを彷彿とさせる盛り上がりを見せてくれるなど、なかなか聴かせてくれるのが嬉しい。

e0033570_20381296.jpgそして監督のヴォルフガング・ペーターゼン。劇中劇の形式をとる本の中のアトレーユの物語と、その本を読んでいるバスチアンの対比。そのしっかりとした構成は観る者を飽きさせない。製作中から期待していただけに、その願いは報われた思いである。

――これが公開当時の感想である。

ところがこれから10年近く経ってから改めて観直してみたのだが、これが実につまらない。ストーリー構成はチグハグで物語世界に一向に入って行けず、ラストの展開もあまりに唐突。これはショックだった。記憶の中で美化しすぎていたのだろうか。
それとも自分がファンタジー世界で遊ぶだけの、ゆとりを失ってしまったのかも知れない。
次に観る時は、また違った想いを抱くのだろうか。

  × × × ×

以上、「しねま宝島」から転載。

改めて見てみると、絵は綺麗だけれどもお話は薄っぺらい。
読者(バスチアン)を引き付けるだけの為に艱難辛苦を味わう羽目になるアトレイユが気の毒。
最初に見た時は「なるほど」と感じた部分ではあるが、もう少しスムーズにバスチアンのいる現実世界と、ファンタージェンを繋げなかったものかな、という思いはある。小説と映像という媒体の違いは勿論あることは承知の上で、であるが。



by odin2099 | 2019-01-16 20:45 |  映画感想<ナ行> | Trackback | Comments(0)
<MCU>第6弾。バラバラだったピースがようやく一つの形になった<フェイズ1>の締めくくり。

e0033570_20040525.jpg冒頭から畳みかけるような展開で、事件の勃発、アベンジャーズの各メンバーの紹介と招集、ロキの企み、アベンジャーズの分裂からの再結集へと殆ど無駄のない2時間半だ。
これまでの作品群を見ていない観客も、最低限の情報は与えられるのでそれなりに愉しむことは出来るだろうが、勿論全ての作品に目を通している人なりの特権は与えられている。

毎度のことながらアベンジャーズのメンバーは多種多少、多士済々。北欧神話の雷神ソー、ハイテク武装のアイアンマン、バイオテクノロジーの産物ハルク、強化人間のキャプテン・アメリカ、それにエキスパートのブラック・ウィドウとホークアイという具合に個々の戦力差には相当な開きがあるものの、それを感じさせない演出には感服する。
ドラマとして優れた作品は他にもあるだろうが、こと娯楽作品という観点で見た場合、<MCU>の最高傑作は今のところこの作品かもしれない。

強者集結ムードが漂い、「アベンジャーズ」シリーズの完結編という側面も(この時点では)持っていたが、今では<フェイズ2>以降の映画や「エージェント・オブ・シールド」をはじめとするTVシリーズ、「デアデビル」をはじめとするネット配信ドラマへと続くブリッジの役割をもはたしている。
あくまでも終止符ではなく、句読点だ。

なおこの作品もパラマウントのロゴマークで幕を開けるが、配給はディズニーへ移行。
DVD&Blu-rayソフトも初めてディズニーからの発売となった。

<過去記事>



by odin2099 | 2019-01-16 20:02 |  映画感想<ア行> | Trackback | Comments(0)
サラ・パレツキーの<V・I・ウォーショースキー>シリーズの一篇を、キャスリーン・ターナーの主演で映画化。
監督はジェフ・カニュー。

e0033570_19411344.jpgある晩、酒場で有名な元ホッケー選手のブンブンと知り合った私立探偵のV.I.ウォシャウスキー(通称ヴィク)。だがその夜遅くに埠頭で起こった爆発事故でブンブンは死亡。現場にはブンブンの二人の兄ホートンとトランブル、そしてブンブンの元妻で今はトランブル夫人がいた。
ブンブンは何らかのトラブルに巻き込まれていたらしい。その娘キャットは母親や伯父たちを毛嫌いし、ヴィクに父親の死の真相を暴くように依頼する。

ヴィクとはつかず離れずの関係の新聞記者マーリーや、ヴィクの父親の友人で口うるさい警部補マロリーらを巻き込み乍ら、彼女が事件の真相に迫っていくというお話だが、最初は持て余し気味だったこまっしゃくれたキャットと次第に名コンビぶりを発揮していくバディ物としても愉しめる。

キャスリーン・ターナーが、セクシー美女というには些か薹が立ちすぎているように見える(といっても撮影時にはまだ30代半ばだったはず)が、かえって腕は立つものの、惚れっぽくて私生活にはだらしないくたびれた感じが適度に出ているようにも思う。
公開時以来に久々に見たが、肩肘張らずに愉しめる小品といったところだ。



by odin2099 | 2019-01-15 19:45 |  映画感想<ワ行> | Trackback | Comments(0)
<MCU>第5弾で、時代は第二次世界大戦の最中。ワンパターンに陥らないように、マーベル・スタジオも色々と目先を変える工夫を凝らしている。
頭と終わりは現代で、最後にはお馴染みニック・フューリーが出てくるものの、それ以外はレトロフューチャーを感じさせる要素はあるもののアナログの世界で、これまでのスーパーヒーローが出てくる作品群に慣れていると新鮮に感じられる。

e0033570_20252899.jpgただそこは<マーベル・シネマティック・ユニバース>、スティーブ・ロジャースが受けた実験が「インクレディブル・ハルク」では”凍結された”と語られる「スーパーソルジャー計画」であったり、その実験に協力する科学者が若き日のトニーの父、ハワード・スタークだったり、レッドスカルが手に入れたのが「マイティ・ソー」にチラっと出てくるコズミックキューブだったり、としっかりと伏線は張っている。

なのでこの作品だけ見た場合に「?」だったり、あるいは気にも留めずにさらっと流してしまった要素が、実は他の作品で既に出ていたり、今後の作品の大きな鍵となったり、というのがあるので侮れない。
<MCU>を見続けるということは、複雑なパズルを解くようなものなのだ。

これまでとは目先の変わったキャプテンの冒険譚は愉しめるが、ポストクレジットシーンがそのまま次回作「アベンジャーズ」の予告。
ということでこれまでの4作品とは違い、作品全体が巨大な前フリ、予告編に思えてしまうのがこの作品の独自性を損なっているようでやや残念。といっても「いよいよ始まる!」という高揚感は十二分に味わえるのだが。

キャプテン・アメリカといえば楯だが、そういえばスティーブは、超人兵士になる前の喧嘩の際にはゴミ箱の蓋を持ったり、なった直後にヒドラのスパイを追跡中には外れた車のドアを使ったりと、元々楯にシンパシーを感じていたのだろうか。

<過去記事>



by odin2099 | 2019-01-15 19:38 |  映画感想<カ行> | Trackback | Comments(0)
e0033570_19263659.jpg続編シリーズで初めてタイトルにナンバリングがされない「ロッキー」シリーズの完結編。
もう一つ違うのは、これまでの続編と違って前作のラストに直結しておらず、時間経過が置かれていること。なのでオープニングも、前作のクライマックスであるファイトシーンでは始まらない。
もっとも前作でロッキーはボクサーを引退し、最後もリング上ではなくストリートファイトだったので、これを冒頭に持って来られても盛り上がらないとは思うが。

ロッキーが現役復帰するというストーリーを聞いた時はジョークかと思ったものだが、作品はその予想を覆す出来栄え。
現役復帰を決意する過程が弱いとは思うものの、妻亡き後、疎遠になっている息子との和解を絡め、そして街の人々に支えられてリングに上がるロッキーには素直に快哉を叫びたい。
そしてこれは”大人のおとぎ話”なんだと割り切って、判定に敗れたとはいえ最終ラウンドまで現役チャンピオンと戦い抜いたロッキーの姿に、叶わぬまでもせめてもの”己の見果てぬ夢”を投影したいと思うのだ。

これにてロッキー自身の物語には綺麗に終止符が打たれたが、この世界はまだまだ英雄を必要としているようだ。今度こそ蛇足だと思われたスピンオフ世界に蘇ったロッキーは、また見事な存在感を見せてくれているのだが、それはまた別の話――。

<過去記事>



by odin2099 | 2019-01-15 19:28 |  映画感想<ラ行> | Trackback | Comments(0)
e0033570_19173627.jpg出版社に転職した主人公は、清楚な人妻である先輩・香奈に一目で惹かれる。
再三彼女にアプローチをかけるが全く相手にされなかったのだが、ある日突然「今夜、セックスしましょう」という彼女からのメールが届く。
そこで奇妙な体験をした主人公は、やがて招かれた彼女の家で秘められた生活の一端を目にすることになり…。

サタミシュウの「SM青春小説」シリーズの第一作となる同名小説を映画化したもので、角川映画の所謂<R18+のセクシー路線シリーズ>の一本。
これが初主演となる壇蜜が、フルヌードでベッドシーンや剃毛シーン、緊縛シーンなどに挑戦。一人芝居の場面も多く、彼女にはハードルの高い演技が求められたと思うが卒なくこなしている。
また彼女のアンニュイな雰囲気、何気ない仕草、佇まいが作品に品を与えているようだ。

主人公を演じた真山明大の微妙なチャラさ、”先生”と呼ばれる謎めいた存在の板尾創路の胡散臭さ、主人公の恋人役の西条美咲のキュートさも光るが、所詮誰かに感情移入したり共感出来る物語ではない。
しかも壇蜜が熱演しているが故に、無粋なボカシが入ったり、局部が黒く塗りつぶされたりするのも興を殺ぐ。ノーカット版だったならばもう少し評価は変わったかもしれない。



by odin2099 | 2019-01-15 19:24 |  映画感想<ワ行> | Trackback | Comments(0)
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