諜報部員のカルバートは捜査に乗り出すが、その最中に謎の大富豪スクーラスから豪華船へ招待を受ける。
船内にはスクーラスの仲間やその美貌の妻シャーロットがいたが、その夫婦の余所余所しい態度にカルバートは不振を抱く。
なおも捜査を続けるカルバートは核心に迫ってゆくのだが、その一方で仲間を次々と失ってゆく。

最初はカルバートと親友のバディ物かと思わせるのだが、中盤で相棒はあっけない最期を遂げ、今度はそりの合わない嫌みな上司が現場に出張ってくる。
ただカルバートに対して始終不満をぶつけているものの、一方ではその実力を認めているからこそ、危険を冒して自ら前線に出てくるわけだから結構イイ人だったりするのである。
アンソニー・ホプキンスは当時30代前半。今からはちょっと想像もつかないくらい体を張ってアクションをこなしている。
俊敏な身のこなしとはいえないものの、ショーン・コネリーもロジャー・ムーアも決してスマートなアクションを披露していたわけではないからこんなものだろう。
ナタリー・ドロンはお色気担当だが、あまりサービスショットはない、残念。
役どころも最初から思わせぶりで怪しさ全開、そしてやっぱり怪しかったという意味では凡庸だが、キャラクターの相関関係という点ではやや捻りが加えられている。
丁度「007」が過渡期だった(コネリーからジョージ・レイゼンビー、更にコネリーへと交代が相次いだ)ので、製作陣は対抗してシリーズ化を目論んでいたようだが、お話そのものは地味だし、アクションシークエンスもさほど派手ではなく、またアンソニー・ホプキンスも娯楽作品で主役を張るタイプでもないので、製作陣が期待したほどの数字は上げられずに頓挫した。
四半世紀ほど前に一度見ているのだが、全くと言ってよいほど記憶に残っていない。
ただ邦題は格好良い。
出演はロバート・ショウ、ハリソン・フォード、バーバラ・バック、エドワード・フォックス、フランコ・ネロ、カール・ウェザース、リチャード・キール、アラン・バデル、マイケル・バーン、フィリップ・レイサム、アンガス・マッキネス。
監督はガイ・ハミルトン。

窮地に陥った彼らは、何とかパルチザンと合流を果たすのだったが…。
冒頭に前作クライマックスのダイジェストが付くが、17年後に作られた続編とあってキャストは一新。
マロリーはグレゴリー・ペックからロバート・ショウに、ミラーはデビット・ニーブンからエドワード・フォックスへ交代。
そのこと自体は仕方ないが、性格も変わって丸っきり別人になってしまったのはどうしたことか。
そして舞台は「ナバロン」とは無関係な場所で「嵐」なんぞは吹き荒れない。
お話は例によって誰が敵で誰が味方か、仲間の内に裏切者がいる、というパターンだが、その
それよりも、以前見た時は主人公サイドの目的(何のために何をやりたいのか)が今一つ理解できなかったのだが、今回ようやく腑に落ちた。
なので前回見た時よりは楽しめたし、クライマックスのダム爆破シーンは結構頑張ってるなあと思えたのだが、そこまで。
目的はわかったのだけれども、前作に比べて作戦の必然性と、それが如何に実現困難な任務なのかという部分が上手く伝わってこないから緊迫感が生まれないのだ。
そしてキャラが崩壊したマロリーとミラーは(役者は頑張っているにしても)魅力薄だし、実質的な主人公のハリソン・フォードは相変わらず脇に喰われてるし、必然性ゼロの入浴シーンでバストトップをチラ見せしてくれるバーバラ・バックは大した見せ場のないまま中盤で退場してしまうのが勿体ないし、カール・ウェザースVSリチャード・キールの対決なんてよっぽどのB級マニアじゃなきゃ喜ばないしなあ。
音楽は格好良かったけれど。
【ひとりごと】
機密情報が洩れる前に将校を救出せんと、スミス少佐以下6名の英国軍諜報部員と、米国レンジャー部隊員であるシェイファー中尉が”荒鷲の要塞”と呼ばれる基地へと潜入する。
だが到着早々メンバーは一人また一人と不可解な死を遂げ、情報が独軍に筒抜けとなっていた。

戦争映画というよりスパイアクション映画で、序盤から二重スパイの存在は仄めかされるわ、スミスはメンバーに隠れて女性諜報部員と密会するわで、誰一人信用出来ないというムードを醸し出す。
途中でスミスが何やら別命を帯びているらしいことがわかり、二重スパイの正体が明らかになったあたりから一気に収束へと向かうかと思いきや、ここで更に二転三転のどんでん返しが待っている。
後半は要塞からの脱出行がメインとなるが、ここは大掛かり過ぎる。どれだけ爆薬持ち込んだんだ?というくらい爆破のオンパレード。
しかも味方は少数で絶体絶命のはずが、何故か敵の弾は一発も当たらず、味方の攻撃はクリティカルヒット! これが延々と続くと些か興ざめだ。
最後は無事に逃げおおせてメデタシメデタシかと思いきや、やはり黒幕は別にいる、という展開が待っている。
沈着冷静というより何を考えてるかわからないバートンが不気味な一方、実直なイーストウッドが対照的で儲け役。彼が唯一の米国軍人というところに意味があるのだが、メンバーたちの描き分けが不十分なので、二重スパイ探しも今一つ盛り上がらない。
個々のキャラクターを立て、また例えばメンバー全員が顔見知りの中、ただ一人の余所者であるシェイファーが孤立する、というようなシーンでもあればもっと深みが出たろうに。

元々はTV映画だそうだが、他国では劇場公開されたくらいだからそれなりのクオリティー。
助演がパトリック・スチュワートとクリストファー・リーだから、そんなに”安い”映画ではないはずだ。
お話も1時間半という中で、内部に裏切者パターンやタイムサスペンスを盛り込むなど色々と工夫はされているので、「007」並みの超大作を期待しなければ楽しめる作品だろう。
しかしこの作品、吹替の出来はちょっと酷い。
もちろんベテランを起用している部分は良いのだが、主役は棒読み台詞で萎えるし(TV放映版は大塚明夫で、機内版は神谷明らしいのに…)、字幕と比べると固有名詞やら軍隊の階級やらがかなり違っていてモヤモヤするし、もうちょっと何とかならなかったのかなあと残念でならない。
<過去記事>

マロリー自身、戦前は世界最高のロック・クライマーと呼ばれた男であり、ミラーは爆発物を扱う天才、ケイシー・ブラウンは生まれながらのエンジニア、アンディー・スティーヴンズは若き登山家、そしてマロリーの片腕であるアンドレアは、巨体の持ち主でありながら敏捷果断な人間凶器。彼らは敵の意表をつき、登攀不可能とされる断崖絶壁を乗り越え、要塞へと忍び込もうと言うのだ。
知力、体力の限りを尽くし、任務遂行に賭ける彼らだったが、その行く手にはドイツ兵だけではなく、自然の驚異や仲間の裏切りも待ち構えていた・・・!

アリステア・マクリーンの作品は、映画化されたものは何本か観てますけど、肝心の小説は一冊も読んだことがありません。
その昔、デビュー作にして最高傑作との呼び声も高い『女王陛下のユリシーズ号』を勇んで読み始めたことがあったのですが、ものの数十ページで挫折したという苦い思い出があります。
ただ先日イアン・フレミングの『カジノ・ロワイヤル』を読み終えたときに、同じ時代に同じイギリスで活躍していた冒険小説の雄であるところのマクリーン作品を是非読みたくなり、『女王陛下~』の再チャレンジとどちらにしようか迷った末にこちらを選びました。
いやぁ、それにしても読みにくい。
マクリーンの描写が自分の肌に合わないのか、それとも翻訳の文体に馴染めないからなのかはわかりませんが、随分と手こずりましたね。
しかも長い。
描写が綿密なのはいいんですけど、なかなか進展しないのは辛かったです。その分、読み終わったときには達成感がありましたが。
そういえばJ・リー・トンプソンが監督した映画版も「戦争映画の傑作」と呼ばれてますが、以前観た時はあまり楽しめなかった記憶がありましたっけ。メンバーの描き分けが上手く行っておらず、ただ長かったことに閉口した覚えがあります。
まぁ今観ると受け止め方も違ってるかもしれませんので、そのうち観直そうかなと思ってますが。

彼が生前残していたプロットを元に、『バーチャル・ウォーズ』、『ライブ・ワイヤー』と主演作が相次いで公開され、我が国でも認知されつつあったピアース・ブロスナンを主人公マイク・グラハム役に起用し、U.N.A.C.O.の指揮を執るフィルポット部長にパトリック・スチュワート、マイクの相棒となる女性エージェントのサブリナ・カーバーにアレクサンドラ・ポール、ハイジャック集団の首謀者アレックス・ティアニーにテッド・レヴィン、そして黒幕の狂信的ロシア軍人ベニン将軍にクリストファー・リーを迎えて作られた、走る”ダイ・ハード”と称されたアクション映画。
ブロスナンはこの頃既に次期ジェームズ・ボンド候補として取り沙汰されていたので、こちらもそれを意識して観たものだが、少々線が細いもののアクション物を充分こなせることを実証。その前に観た『ライブ・ワイヤー』の印象があまり良くなかったので、ほっと胸を撫で下ろした記憶がある。
その後ブロスナンは『ファイナル・ゲーム』や『ミセス・ダウト』を経て、めでたく5代目007を襲名することになった。
特殊部隊とテロ集団との銃撃戦、ヘリコプターを使ってのアクションと見せ場は色々とあるものの、全体的にこじんまりした印象を受けるのは元々がTV映画(CATV用)に作られたものだからだろうか。
ただ出演者の顔触れもなかなかツボを押さえたものなので、007級のスケールを持った超大作を期待しなければ充分に楽しめるし、ブロスナンが007を降板してしまった今、改めて観直してみるとなかなか新鮮に感じられる。
ところで劇中、パトリック・スチュアートはずっと腕を吊ったままだが、何の必然性もない。
これはひょっとすると、単に本人が実際に骨折していただけのことなのだろうか。