普通なら”Based on Characters Created by ~”みたいな感じでクレジットされそうなものだが、一切名前が出てこないのは些か不自然な気もする。

その一家を助けるべくやってきたのが、インディアンの呪術師テイラーで、彼は前作にも登場した霊媒師タンジーナの仲間。
やがてタンジーナ自身もやってきて謎解きを始める。
彼らの家は墓地の上に建てられていたのだが、その下にはかつて狂信者に率いられた一団が閉じ込められ、そこで死んでいったのだと。
勿論「怪しげな神父=狂信者」なワケで、得体のしれないモンスターではなく直接的な”悪い奴”が出てくるのが今回の特色。
一家の信頼関係を崩壊させ、”愛”の力を削ぎ、そしてキャロル=アンを手に入れるのが目的なので、より対決色が強まった。
最後は家族の絆と、守護霊みたいな存在になっていたお祖母ちゃんによって救われ、メデタシメデタシ。
このお祖母ちゃんはいわゆる異能者で、キャロル=アンもまた然り、ということは当然母親であるダイアンも異能者で…というのはイキナリすぎるけれど、”選ばれし者”の家系だからターゲットにされるんだ、という理屈付けをしたかったのだろう。
というか、今回見直すまでそんな設定忘れてた…。
ところで今回、何の説明もなく長女が不在というか、いなかったことにされちゃってるんだけど、それはちょっと酷すぎるんじゃないかなあ。
事情が事情だけに触れたくないのはわからないでもないけれども。
通算6作目となるシリーズ最新作(「ジュラシック・ワールド/ドミニオンJurassic World: Dominion」)の撮影も、途中でコロナ感染者が出たりで何度か中断しましたが、どうやら無事に終わった様子。
この1作目以来となるサム・ニール、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラムのトリオの揃い踏み、ということで色々気にはなっているのですが、はたして見られるのはいつになることやら。
一応今のところは来夏予定とされていた公開日が再来年の夏に延期とのことですが、今年公開予定の作品が軒並み来年に延期され、更に再延期の可能性もある以上どうなることやら不明です。
あちらこちらで玉突き事故が起きそうですし。

往年の(?)スピルバーグを崇拝する人からすると腕が鈍ったということになるのかもしれませんが、最初から段取り良く小出しにしておいて、ここぞという時には出し惜しみせずに見せたい画を、観客が見たがってる画をバーンと出すあたりの緩急の付け方は大したものです。
もっともその辺の呼吸の妙は、もしかすると多忙なスピルバーグに代わって編集を担当したジョージ・ルーカスのお手柄なのかもしれません。
学生映画界で鳴らしていた頃から編集者としての手腕が評価されていたルーカスの、知られざる本領発揮作品だったりすると面白いのですが。
しかし世界的大ヒットとなった「ジュラシック・パーク」映画化ですが、実現に至ったのは実は偶然の産物に近いものがあったんですね。
元々スピルバーグは「五人のカルテ」を映画化したくて、友人でもある著者のマイクル・クライトンに話を持ち掛けたところ、他にもこういう企画があるぞと提示されたのが「ジュラシック・パーク」。
たちまちスピルバーグはそちらに夢中になってしまったので「五人のカルテ」は後回しにされ、結果この映画が誕生することになったのですから、何がどう転ぶかわからないものです。
ちなみにその「五人のカルテ」ですが、映画としてではなくこれをベースにしたTVドラマ「ER/緊急救命室」が作られ、15シーズンにも及ぶ人気シリーズになったのはご存知の通り。
どちらもメデタシメデタシとなりました。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/3066266/
https://odin2099.exblog.jp/23087125/
https://odin2099.exblog.jp/27177247/
ということで久々に地上波での「E.T.」を見ました。
放送時間枠は2時間弱。
本編時間も2時間弱なので、エンドロールを除いても20分くらいは切られてる計算になりますね。
お話はサクサク進みます。

そしてエリオットとE.T.が打ち解けるシーンに流れるジョン・ウィリアムズの甘いメロディー、これが効いています。
ヨーダ(の仮装をした人)に反応するE.T.の描写には、しっかりと「ヨーダのテーマ」を流してくれるのも流石ジョン・ウィリアムズ。
そう、このお話ってハロウィンの頃の出来事なんですよね。
となるとこのタイミングで放送してくれたのはタイムリーってことになりますな。
宇宙服?を着た人たちがエリオットの家に押し入ってくるシーンは、ちょっと「未知との遭遇」っぽいですが、セルフパロディでしょうか。
実は悪人ではなかった政府関係者たちですが、ちょっとミスリードを誘う演出になってます。
その代表格がエリオットの母親。
エリオットとその兄妹はすぐE.T.と打ち解けますし、その友人たちも詳しい事情は知らされてないながらもすぐに状況を理解し協力しますが、母親は基本分からず屋。
つまりは”常識人”だということですし、離婚した直後で精神的に不安定だというエクスキューズも用意されていますが、見ているとちょっとイライラさせられます。
エリオットをE.T.の傍から引き離そうとする件まで、エリオットにとっては理想の母親ではありませんでした。
その母親が最後に、宇宙船で去ってゆくE.T.を見送るシーンで初めて笑顔を見せます。
この時ようやくエリオットと母親は分かり合える存在になる、感動的なシーンです。
さて、E.T.が去った後、この一家は幸せに暮らしたんでしょうか。
<過去記事>
https://odin2099.exblog.jp/27367293/
ほどなくドクからの手紙が届き、1855年の世界で元気でいることを知り、ほっと安堵するのだった。
再び”この時代”のドクの協力を得て1985年に帰ろうとした矢先、1855年の世界でドクは手紙を書いた一週間後にビフの先祖に撃ち殺されてしまうことを知る。
マーティは修理したデロリアンで、ドクを助けるべく1855年へ――。

1作目が出来た時に続編を作る予定はなく、続編を作ろうとしたら長すぎたので二つに分けたことで出来た3作目だが、最初から計算されていたのかと思うほど殆ど完璧な三部作となった。
時代は変われど舞台となる場所(土地)は変わらず、出てくる人物も家族や関係者の祖先や子孫ばかり。
作品(時代)を跨っての繰り返しのギャグや、同じようなシチュエーション、台詞の応酬も飽きが来ない適度なクドさ。
そしてマイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドのキャラクターへのハマり具合。実に愛すべき作品だ。
独立した作品としてみれば作劇上破綻しているし、今見直すとクララの存在が鬱陶しくて邪魔だなとも感じるのだが、彼女を加えることでドクのキャラクターに化学反応が生まれ、マーティとの関係にも変化がもたらされたのだから歓迎すべきだろう。
それにしてもこの当時のクリストファー・ロイドが50そこそこというのは驚きだ。
最初の劇場版に満足できなかったスピルバーグは、手直しした<特別編>をリリース。
しかしこちらには不本意な追加シーンも含まれていたので、更に両方の良いとこ取りをしたのがこの<ファイナル・カット版>ということになるのだろう。
「1941」には長尺版があり、「E.T.」にもお色直し版があるが、スピルバーグが自作にここまで手を入れるのは珍しい。

――と、そこまで考えた時に、「未知との遭遇」の続編ってつまらないだろうな、と思えてきた。
ロイが家族に再会?
いや、ロイがその時に家族に執着しているだろうか。
またロニーや子供たちがロイのことをそこまで思い続けているような気もしない。
ではジリアンやバリーの元を訪れることはあるかというと、せいぜい仲間として受け入れるために迎えに来る、くらいの目的しか思い浮かばなかった。
この作品の続編足り得るのは、今度は地球人側ではなく、宇宙船の乗組員側から描いた物語。
<過去記事>
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前作が過去の世界での大冒険だったので、今度は未来世界での大冒険、かと思わせておいて、実は主な舞台となるのは前作と同じ1955年と、改変されてしまった現在=1985年というのは意表を突く。
映画館で2回見て、ビデオやDVDでも見て、テレビ放送された時も見て…だから十回くらいは見てるのかな。

その中で中心になるのがビルとジョーという離婚寸前の夫婦。
互いに自己主張が強いから何かというとぶつかって、それで上手くいかなくなっちゃったんだろうなあ。
登場時は猪突猛進のジョーに対し、ブレーキを踏む役回りなのかなと思わせるビルだが、竜巻が発生するかも?!と聞かされるともうストップが効かない似た者同士。
一方でビルの再婚相手である婚約者のメリッサが、唯一の常識人というか観客に近い視点で竜巻のことを解説してくれるという配置も良い。
何度も見たと言いながら、実は今回見るのは実に久しぶりなんだけど、もう四半世紀近く前の作品とは思えないくらい面白い。
他にも竜巻を扱った映画は何本か見ているけれど、自分にとっちゃ今だにこれがオンリーワンだなあ。
弛れる場面もないので、何度飽きない。
<過去記事>


