リュミエール兄弟のシネマトグラフに刺激を受けたメリエスは、自らも映画製作に乗り出し、奇術師出身ならではの多彩なアイディアを盛り込んで人気作を生み出してゆく。
メリエスこそ正しく「特撮映画の父」「SF映画の始祖」と呼ぶに相応しい存在だろう。
やがて彼に影響を受けた同業者が次々と現れ、メリエスは濫作を余儀なくされて質の低下を招き、やがて観客からも飽きられてしまい失意のうちに業界を去るのだ。

また黎明期から映画はカラー表現に挑んでいた。
当時は勿論白黒のフィルムだったが、これに一コマ一コマ、職人の手によって丁寧に着色することでカラー映画を実現していたのだが、その中にはメリエスの代表作「月世界旅行」のカラー版も存在していた。
後半はこの発見されたボロボロになったフィルムを、実に十数年の歳月をかけて丹念に修復、復元する作業にスポットを当ててゆく。
これまた20世紀の初頭に早くも”カラー映画”という概念があったことに驚きを感じた。
映画はまず音が付き、それから色が付いたという風に理解していたのだが、疑似とはいえこれはこれで立派な”カラー映画”であることは間違いない。
自身の映画史の認識を改めなければなるまい。
映画館での上映の際は先ずカラー版の「月世界旅行」が上映され、続いてそのバックボーンを解き明かすこのドキュメンタリー映画が上映されたようだが、DVDではこちらが先に収録されていて、修復の過程を見せた後でじっくり本編を見せるという構成になっている。
というわけで久々に「月世界旅行」もカラー版で見直したのだが、画面に不釣り合いな音楽は煩く感じたし、肝心のカラー化も奇麗というより派手で毒々しいという印象を受けた。
時代背景を考えれば歴史的意義はあるだろうが、純粋に一本の作品として楽しむならば白黒版の方が想像の余地が残されており、幻想映画としての完成度は高いように思うのだが如何だろうか。
テレビ番組の再編集だった前作と違って、今回はほぼ撮り下ろしの新作映像なんだそうです。

ミャンマーではあたかも一つの家族のようなヒト家族とネコ家族を追いかけます。
どちらもそうですが、如何にも「飼ってます」というのではなく、自然と近くにいる、という関係性には憧れますねえ。
こういうのを見てしまうと猫を飼いたくなってくるんですけど、ガマンガマン…。
ところで前作をもう一度見てみたいなあと思ったのですが…
DVDやBlu-ray、出てないんだぁ。
【ひとこと】
女優のミシェル・ロドリゲスが、製作総指揮のみならず案内役としても参加。

性差別、人種差別…。
映画創成期、女優は何でもやってきた。
ところが映画は金になることがわかると男性がワッと業界に参入し、完全なる男社会を作り上げてしまう。
女性キャラクターの危険な場面でも、代役は女装した男性スタントマン。
その中で少しずつ女性にも活躍の場が与えられはじめ、彼女たちは男性顔負けの熱演を披露し、地位向上に努めるのだが、それに対しても露骨な圧力が加えられる。
そんな日々が当事者たちの口から、生の声で聞くことが出来る。
また過酷な現場では怪我は日常茶飯事。
時には痛ましい事故も起こる。
仲間の死。
もし自分がその場であーしていたら、こーしていたら防げたかもしれないという悔恨の情はずっと彼女たちに付きまとう。
惜しむらくは彼女たちの生の声を拾うことに注力し、その彼女たちのパフォーマンスを殆ど見せてくれなかったことだろう。

ただ、これまでゴッホという人物にも作品にもあまり関心を抱いていなかったのだが、知らない作品の中に何点か興味を惹かれるものも見つけられたので、自分の興味の対象が広がったという点では感謝したい一遍である。
個々の作品を接写しているのもこの映画の特徴かと。

またネットフリックスに敗れ去ったブロックバスターの旧経営陣たちも、当時の熾烈な戦いぶりを語っているのだが、倒産したブロックバスター側の関係者は当然としても、勝者であるはずのネットフリックス関係者にしてからサクセスストーリーとは無縁の敗者の弁にしか聞こえないのが不気味だ。
真の勝者とは、この映画の中では誰も口を開かなかった現ネットフリックスの経営陣だ、ということであるならば業界の闇の一端を垣間見た思いである。
そして勝者ネットフリックスといえども、行く手にはアマゾンやディズニーなど海千山千の強敵が待ち構えているのだ、というところで締め。
決してネットフリックを褒めそやすだけでなく(もちろん腐してもいない)、既に新時代が到来しており、決して安閑としてはいられないのだと明言して終わっている。
これまたテレビ番組の再編集か。

確かに聞いたこともない事件の、見たこともない映像が出てくるという点では興味深い。
数年から二十数年前といった比較的新しい事件が多いし、当事者や関係者のインタビューも少なくはない。
ただ相変わらず「見たい絵」は見せてくれないし、ナレーターや番組ホストががなりたてるだけで進行してしまう。
字幕を追うだけで一苦労だし、単調なのでついつい睡魔に襲われる。
作品の方向性はやや違うとはいえ、かつて矢追純一が手掛けた番組が如何に見せ方(と、視聴者の興味の引っ張り方)が上手かったかを実感させられる。
真実を追求しようという真摯な態度は買うが、それだけでは見世物小屋に客は来ないのだ。
といってもエッシャーといえば”騙し絵”の人、というくらいの知識しかなかったのだけれども。

もちろん彼の作品も数多く紹介され、風景を模したものはその実景とオーバーラップさせたり、トリックアートはCGアニメーションとして動かしてみたり、合間合間には家族のインタビューが挿入されたりと一本の映画として飽きさせない工夫も施されている。
彼がどんな人生を送り、どんなことからインスピレーションを得、それをどのように作品に昇華していったのか、そういった過程を目の当たりに出来る知的興奮を味わうことが出来る。
「自分は芸術家ではなく数学者だ」といった彼の言葉が印象的だった。
それともケーブルテレビなどで放送された特番か、あるいはビデオ発売を目的にしたものなのかもしれませんけれど、よく日本での劇場公開にこぎ着けたものです。

近々Part2も公開される予定ですが、さて、どうしようかなあ。
【ひとりごと】
ヒル夫妻の姪が研究者になっているのは知りませんでした。
おまけに自身もアブダクションの体験者だとか。
これが事実だとしても、こういうのって事件の信憑性を貶めてしまいかねない気もします。

最初のイメージボードの段階から、数々の模型製作を経て着工。
そして工事が進む模様を定点カメラでずっと追っているので、無から有へ、そして少しずつ形を変え、整っていく姿を目の当たりに出来るのは面白い。
最後には完成した建物の内部も(一部だけだが)見ることが出来る。
上映時間も1時間と短めだし、設計や建築そのものにはあまり興味がなくても、建物好きやミニチュア好きには刺さる映画ではないかな、と思う。
余談だが、この映画を渋谷のユーロスペースへ見に行ったのだが、何故か急遽上映劇場が変更。
チケットはユーロスペース2で取ったのだが、案内されたのはユーロスペース1の方。
劇場そのものに不具合があったというよりは、販売の際に間違えたっぽい?
自由席ならともかく、全席指定の昨今ではあってはならないミスだろう。
幸い全席埋まることはなかったのだが。
そこで劇場で音楽を生演奏したり、効果音を即興で入れたりと様々な試みがなされたが、ついにトーキー映画が誕生。
その後、”音”――台詞、効果音、音楽…それらの重要性は映画の製作過程の中で増していき、その表現の方法、手段も日々進化し続けている。

各々の作品製作の裏話的な楽しみ方も出来るが、やや大げさに言うとこれを見ることによって今後の映画の見方が大きく変わるかも知れない、そんな一本である。