
折しも強盗団を追って殉職したマーフィ巡査をロボコップとして蘇生させ、治安維持に当たらせるのだったが…。
題名から「ロボット刑事」との関連性が指摘されていたが、内容は「8マン」。
そしてデザインは「宇宙刑事ギャバン」である。
日本のアイディアが金をかけ、センスに磨きをかければ世界に通用することの何度目かの実例と言える。
しかしこれほど人間が簡単に、惨たらしく殺されていくヒーロー作品はなかなかあるまい。
人間の尊厳を踏みにじる、不快感しか覚えないシーンの数々。
特にマーフィが惨殺されるシーンは正視できないほどだ。
もっとも初見の頃のメモを見ると、普通に楽しんでいたのが自分でも意外だった。
トラウマシーンの一つでもあるのだが…。
ともあれ、ベイジル・ポールドゥーリスの作ったテーマ曲は比類のない格好良さ。
パート2では音楽担当者交代に伴いこのメロディは使われなかったが、パート3ではロボコップ登場シーンで華々しく流れ、ヒーロー復活を強く印象付けた。

アメリカの眼前に突如出現したソ連の最新鋭潜水艦レッド・オクトーバー。米政府はその目的をアメリカ攻撃だと判断するが、CIA分析官(アナリスト)ジャック・ライアンは只一人、亡命の可能性を示唆する。
一方、ソ連軍は総力を挙げてレッド・オクトーバーを追跡している。攻撃か亡命か、決断に要する時間は残り少ない。
かくして大西洋は、米ソ入り乱れての戦場の場と化してゆく――というこのハイテク・サスペンスは、トム・クランシーのベストセラー小説の映画化。膨大な情報量をディティールの積み重ねで描写していくクランシーの小説は、実は映画化には適さないと思うのだが、本作は大胆な集約と独自の解釈によって骨太なドラマとなった。
それでも原作を知らないと辛い部分があるのは、原作の長さ(文庫本にして2冊分)からして致し方ないだろう。
原作との相違点(ライアンがラミウス艦長と面識があることや、重要な役回りであるイギリス海軍が登場しないことなど)はいくつかあるものの、そのいづれもストーリー運びをスムーズにさせているので、改悪とも言い切れない。
この作品を骨太に見せている要素は、勿論ジョン・マクティアナンの演出力もあるのだが、ここでは二人の漢(おとこ)の名を挙げておこう。
先ずはレッド・オクトーバー艦長マルコ・ラミウスを演じるショーン・コネリー。年齢を重ね渋くなってからのコネリーは実に魅力的だ。
ロシア人役としては無理があるが(ロシア語も喋らない)、原作以上に魅力的な人物像を創り出している。
当初クラウス・マリア・ブランダウアーでクランク・インしたものの変更。正確な理由はわからないが、これは正解だった。
一方、コネリー絶賛の陰でやや損をしてしまった感のあるのが、ジャック・ライアン役のアレック・ボールドウィン。
ハリソン・フォードも候補に挙がっていたライアン役だが、CIAのアナリストという知的な役柄、家庭を大事にする一般人というイメージにはボールドウィンの方が適役だ。
せっかくのシリーズ・キャラクターでありながらも、これ一作で降板してしまったのが惜しまれる。
更にサム・ニールやスコット・グレン、ジェームズ・アール・ジョーンズらが脇を固め、ベイジル・ポールドゥーリスの重厚な音楽がこれを盛り立てる。
殆ど女性の登場しない映画だけに華やかさとは無縁に思われるが、この漢たちのアンサンブル。これこそ紛れもない「華」なのである。

首謀者は狂気の天才科学者。その狂気ゆえに職場を追われた彼は、かつて開発に携わっていたCIAの衛星兵器をコントロールし米政府に大金を要求。そのターゲットはペンタゴンと、その地下に眠る原子炉。人質となった乗客の生命だけでなく、核を切り札にしたテロリストへの対応に苦慮する政府首脳。
しかし、この列車には「あの男」も乗り込んでいた――!
というワケでスティーブン・セーガル祭り(?)の3本目は、ズバリ『沈黙シリーズ第3弾 暴走特急』。
『沈黙の戦艦』の正式な続編なのに、間に作られた無関係な作品に『沈黙の要塞』を名乗らせて勝手にシリーズ化しちゃったから、今回の邦題はかなり苦しい。タイトルに直接「沈黙」の文字を入れられなかったから、こんな長ったらしい邦題になってしまったというワケ。
あ、今回もTVオンエアー版での鑑賞です。やっぱりセーガルの声は明夫さんだよなあ。

テロリストが乗っ取った列車にたまたまライバックが乗り合わせるなんて、そんな偶然あるワケねーよ!とツッコんでも仕方ありません。ま、どちらにとってもお気の毒なことですが。
で、今回の悪役は元CIAのハイテクおたく。
前作ではもう一人のライバックと呼べるようなプロや、権力志向で厭味な軍人が相手だったのに比べると、目先は変わっているし、やってることは凄いんだけど、如何にも小粒。しかもライバックが乗ってると知ったテロリストの連中が、「オレの教官だった男だ」「最高の男だ」と浮き足だってしまう始末。この時点で勝負は見えた?
ちなみに同時期公開となった<007シリーズ>の『ゴールデンアイ』も、衛星を使った超兵器をテロリストがジャックするという展開だったし、あっちにも悪側に寝返ったハイテクおたくがいたっけ。
偶然だろうけれど、あちらを先に観たので余計新鮮味が感じられなかったのは残念。
ということで、ストーリー、シナリオ、キャラクター造形どれをとっても前作の方が上なのだけれども、完全に勝っていたのは、ゲイリー・チャンに代わって登板したベイジル・ポールドゥーリスの音楽。
『コナン・ザ・グレート』や『ロボコップ』の音楽のファンだったセーガルが『沈黙の要塞』に続いて起用したのだけれども、これは大当たり。
大人しめだった『~要塞』と違い、こちらでは骨太なポールドゥーリス・サウンドがジャカジャカ流れるので大満足である。
ところでこの作品、ライバックが強烈なだけに他のキャラが霞んでしまう傾向があるものの、実はシリーズらしく前作からスライドしている人物もいたりする。
一人はCIAのトム・ブレーカー。
前回も今回も自分の元部下が悪のボスなんだから、本来なら徹底的に糾弾される立場にあるのに、のらりくらりとかわしまくる。また前作では「失敗したらライバックに責任を擦り付ければいい」とか言ってたし、今回もペンタゴンが狙われていると知って、こっそり家族だけ逃がそうとするイヤな奴ぶりをいかんなく発揮。シリーズが続く限り彼は自分の不祥事を他人に押し付け、保身を図るんだろうね。最後には『ダイ・ハード』のしつこいレポーターみたいに、ライバックに張り倒されて欲しいもんである。
もう一人はベイツ提督で、今回はライバックのことを知ってるから、彼が乗ってるなら大丈夫とかいう無責任発言もしてしまう。危機管理能力はどうなってんのやら。
てなワケで改めて観直してみると、このシリーズ、やっぱり面白い。
”沈黙シリーズ”を量産するくらいなら、正式なこっちの続編を作って欲しいもんである。
何年か前、いよいよ3作目が準備に入ったというニュースが流れたことがあったけど、あれはガセだったのか、それともポシャったのかなあ?
今度の舞台はアラスカ。セーガルの役どころは石油火災の専門家フォレスト・タフト。

実はジェニングス社長が利益追求を最優先し、安全管理を怠ってきたが故の事故であり、またこの採掘では周辺の環境をも破壊していた。
フォレストの同僚パーマーは会社の不正の証拠を掴んだが故に殺され、今また秘密を知ったフォレストまでも会社は消そうとしている。イヌイットによって九死に一生を得たフォレストは、採掘施設を破壊するべく行動を開始する、というのがストーリー。
スティーブン・セーガルの監督・主演作ということで製作中から注目していて、さて”On Deadly Ground”という原題にどんな邦題を付けるのやら、と思っていると、なんと「沈黙の要塞」。
前作が『沈黙の戦艦』と名付けて大ヒットしたからって、勝手に<沈黙シリーズ>をでっちあげるのも凄いと思ったけれど、石油採掘基地を掴まえて「要塞」とは、感心するやら呆れるやら。
しかも作品そのものも、相当困ったちゃんだったりするのである・・・。
* * *
「つまんないのかよぉ?」と聞かれれば、即座に「いやぁ、そんなことはないよ」と否定は出来る。セーガルのカッコ良さは出てるし、爆破のスケールなどアクション面に関しては文句のつけようがないくらい。
「じゃ面白いの?」と問われると、「うーん・・・」。
環境破壊がテーマで、強烈な社会批判を正面切って堂々と行っているんだけど、内容的にはただドンパチやってるだけ。あれだけ派手に基地をぶっ壊しておいて、環境破壊反対もないだろう。
それにイヌイットによって魂の戦士として再生されたはずの主人公が、「現実を見ろ、暴力なしじゃ何も解決しない」と宣った後、ラストで説教垂れるのだ。「企業と政府の癒着が環境破壊の原因である」と。
アクションスターが初監督するにあたり、「オレはアクションだけじゃないんだぜ」ということを証明しようとした勇み足ってことなのかなぁ。
結局一番印象に残ったのは、エンド・クレジットでベイジル・ポールドゥリスのメロディーに乗せて映し出される、美しいアラスカの自然だった。
* * *
と以前書いたけど、そうなんだよねー。
好きか嫌いかと問われれば勿論好きなんだけど、良い映画かと言われれば・・・ノー、だろうなあ。
ヒロインにジョアン・チェン、敵役にマイケル・ケインとは<沈黙シリーズ>随一のビッグネームの起用で、本人の意気込みはわかるんだけど、ねぇ。
ガスは潰れかかったテーマパークを経営する変り者で、無類のギャンブル好き。そのせいで全財産を失って妻と離婚、娘とも疎遠になってしまったという過去を持っていた。
すぐにでも父の処へ帰りたいキーラだったが、嵐の翌日、群れからはぐれて浅瀬に乗り上げたシャチの子どもを見つけ、何とか海に帰したいと願うようになる。ウィリーと名付けたシャチと親しくなるキーラ。ガスもまた、ウィリーのお陰でテーマパークに客が来るようになって大喜びだったが、しかしいつまでもここに置いておけないことは悟っていた。
そんな時、ライバルであるド派手なテーマパークを経営しているギャンブル仲間のロルフは、人気者となったウィリーを使って一儲けを企み、あの手この手でガスたちに接近してくる。はたしてキーラは無事に、ウィリーを仲間の処へ帰すことが出来るのだろうか?!

1作目こそ映画館で見逃していますが実は大好きなシリーズで、ストーリーが尻つぼみになり、キャストも小ぶりになり、小規模公開になってしまった3作目まで追いかけています。
ベイジル・ポールドゥーリスの音楽も素晴らしいものでした(3作目では音楽担当者が交代していますが、テーマ曲などはそのまま使われています)。
そういえばTVアニメのシリーズもあるようなのですが、ちょっと観てみたいですね。
この4作目ではスタッフもキャストも一新。前作とは全く関係ない新章というか、一種のリメイクだと考えた方が良いでしょう。
劇場公開されたものではなくTVドラマかオリジナル・ビデオのようで、今回は少年ではなく少女ですが、その彼女とシャチとの交流を描き、また少女と家族との絆を描くというお話も、旧作の焼き直しのような印象です。
もっとも、だからこそ『フリー・ウィリー』らしいとも言えると思います。
そして主演のビンディ・アーウィンが絶品。
彼女のことは全く知らなかったのですが、「クロコダイル・ハンター」と呼ばれたスティーブ・アーウィンという人の娘さんだそうです。
この方は動物園経営者で自然保護活動家で、TVの番組を持つタレントでもあった人だそうですが、ドキュメンタリー番組撮影中にアカエイに刺されて亡くなったとのこと。
ビンディ自身も幼い頃から動物と触れ合って暮らし、やはりTVなどで活躍し、しかも立派に父親の後を継いで頑張っているというのだから正に適役。
しかも”美少女”ではないことも好印象で、お祖父ちゃん役のボー・ブリッジスとの掛け合いでも、お芝居が初体験とは思えないほど堂々たる貫録ぶりを見せています。
新鮮味はないですが、予定調和で家族みんなで安心して観ていられる一本。ベイジル・ポールゥーリスのテーマ音楽だけは流して欲しかったなあと思いましたが、これを機にシリーズを再立ち上げしてみるのも良いかも知れません。
その際には、単純にウィリーと再会するというパターンだとまたまた焼き直しになってしまうので、今度はキーラが別の動物と触れ合うというのも悪くないかも・・・?
しかし女王の真の目的は、その宝物によって魔神ダゴスを復活させ、世界を支配することにあったのだ。首尾よく宝物を手にしたコナンたちを、女王の衛兵が襲う。しかも王女は今まさに、ダゴス復活の生贄に捧げられようとしていた・・・!

前作は監督のジョン・ミリアスが『七人の侍』を意識したとかいう重厚な作品になっていたが、今回はリチャード・フライシャーに交代。コミックブック・テイストに徹したB級活劇に仕上がった。
前作から共通するキャラクターは、<コナン・サーガ>全体の語り部と位置づけられている(らしい)魔術師アキロを演じたマコのみ。
前作のヒロイン、バレリアの影は色濃く作品に残ってはいるものの、物語的には”続編”というほど引きはなく、コナンも前作ほど蛮人ではなく、普通のヒーローっぽいキャラクターになっているが、これをコナンの成長と見るか、シュワちゃんが売れたからと見るか。
世界を破滅させると恐れられている割にはあっさりと倒される魔神を始め、全体的にチャチな作りではあるものの、単純に比較すれば前作よりも面白い。前作の”深み”を愛するヒトには向かないだろうけれど。
ベイジル・ポールドゥーリスの音楽を聴くだけでワクワクするアクション・ファンタジーの快作!・・・だと思いたいのだけれども、興行的にはコケたようで。
で、王女さまである。当時17歳だったという彼女は、童顔でグラマラスという”萌え”系のキャラクター。あの頃は随分と入れ込んでいたっけ。今観ても充分に可愛い♪ 調べてみたらその年のラジー賞の「最低助演女優賞」と「最低新人賞」にノミネートされ、見事「新人賞」を受賞しております。
彼女のお姉さんだか従姉だかが、『007/リビング・デイライツ』でヒロインを務めたマリアム・ダボで、彼女も歴代ボンド・アクトレス随一の清純派などとも形容されたりしていたが、二人とも良い雰囲気を持ってましたな。その後の作品については、どうせイメージ崩れるだろうからあまり観たくないけれども・・・。
とにかく王女さまが全てといっても過言ではない(?)この作品、王女さまの魅力に比べればシュワちゃんだって・・・。
また全体的にこの映画、女性キャラの方が目立ってます。
清純派プリンセスに対する悪女キャラは、『スーパーマン』、『スーパーマンII/冒険篇』などのサラ・ダグラス。それなりに露出の多いコスチュームを身に纏ってますが(ヒロイック・ファンタジーの場合、これ大事)、今ひとつセクシーさがないようで残念! もっとコナンを誘惑するとか、そういう展開があればねぇ。むしろ、何気にエッチな衣装のオリビア・ダボの方が、危うい色気を醸し出しているのが何とも・・・。
またこの作品じゃ悪役じゃないけれど、女戦士を演じたグレース・ジョーンズははまり過ぎ。彼女、本業は歌手だろうけれど、コナンに命を救われてから、彼のためなら命を投げ出すことも厭わない侠気溢れるキャラを好演。ただ、はまり過ぎちゃったんでしょうなぁ。次回作の『007/美しき獲物たち』も似たような感じのキャラだったし。
人生の岐路に立たされたビリーは、様々な過去の球歴や彼女への想いが去来する中、大観衆で埋め尽くされた敵地でのマウンドに立った。
そして試合は意外な展開を見せる。両軍ともに0行進。しかもビリーは、一人も塁に出していないのだ。そのまま試合は終盤へ。球場は大記録への期待が高まってゆくが、既にビリーの肩も肘も限界に来ていた・・・。

主演にケビン・コスナーを迎え、他の出演者にも野球経験者を揃えたというのは大きなプラス要素。野球映画でそのプレイ・シーンが嘘に見えてしまえば興醒めだが、その点コスナーの投球フォームには説得力があって、画面への集中力を高めてくれる。
物語はマイクル・シャーラの小説『最後の一球』を原作としているのだが、かなり大胆な脚色がほどこされており、淡々とした語り口の小説に比べるとかなり饒舌で劇的な展開も多く、エンディングに至っては過剰なほどの甘さだと感じはするのだが、それでも一本の映画として見れば成功している部類なので、あながち改悪とは言えまい。
それにしても、アメリカ人は本当に野球好きなのだなあと感じた作品でもあった。
ただ個人的に気になったのは、ビリーに対してトレードを通告する件。これだけの年齢の選手の場合、トレードよりも戦力外通告の方が一般的なのではないか、と思ったのだが(どちらであれ、物語は成立する)さて如何なものだろうか。

この作品は当時、旅先で観ています。途中で予定が狂っちゃったので、時間つぶしにフラっと立ち寄った映画館でやっていたのですが、当然予備知識も殆どありませんでした。<ヒロイック・ファンタジー>というジャンルにも馴染みがなかったので、何だか安っぽい映画だなぁという印象が先に立ってしまい、最初のうちは戸惑うばかりでしたが、途中からはかなり引き込まれてゆき、2時間を越える上映時間も弛れることなく最後まで楽しみました。
見直してみると、CG全盛の現在とは比べ物にならないほどセットは豪華だし、スペインが中心だったというロケーション映像も素晴らしいし、小道具にもこだわりが感じられますので、決して安っぽい作品ではありません。それどころか何といってもプロデューサーが、大作を生み出し続けているディノ・デ・ラウレンティスなだけに相当な予算が注ぎ込まれているのは間違いないでしょう。もっとも後追い作品の中には、低予算丸出しのものも少なくないのですが・・・。
そして特筆すべきは音楽の素晴らしさ! 監督のジョン・ミリアスの盟友であるベイジル・ポールドゥーリスの最高傑作といっても過言でないこの作品の音楽は、主人公であるコナンが口数の少ない存在であることも手伝って、実に雄弁に物語を語っています。人によっては過剰だと受け止めるかも知れませんが、時に雄雄しく、時に叙情的に、時に官能を湛え、時に感傷的な旋律はひたすら心地よく響き渡ります。

近年ではTVドラマになったり、アニメーション映画の製作が進められていたり、はたまた新たな実写映画化の話も聞こえてきています。残念ながら評論家筋からはクロサワ映画、特に『七人の侍』からの多大な影響のみ語られることの多い作品ではありますが、これを機にもっともっと再評価されることを願うものです。